大判例

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佐賀地方裁判所 昭和50年(ヨ)44号 判決

申請人 安岡すま子

〈ほか六名〉

右申請人七名代理人弁護士 杉光健治

同 林健一郎

右代理人林健一郎復代理人弁護士 小島肇

右申請人安岡すま子、陣内たみ子、船津京子、森節美代理人兼右代理人杉光健治復代理人弁護士 河西龍太郎

同 本多俊之

被申請人 株式会社サガテレビ

右代表者代表取締役 山崎英顯

右代理人弁護士 安永澤太

同 安永宏

同 高木茂

主文

申請人らが被申請人の従業員の地位を有することを仮に定める。

申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  申請の趣旨

主文と同旨

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件申請を却下する。

2  申請費用は申請人らの負担とする。

第二当事者の主張《以下事実省略》

理由

(はじめに……本件訴訟の争点)

本件訴訟の争点は、申請人らと被申請人会社との間に、昭和五〇年六月の時点で、個別的な労働契約が締結されていたかどうかにある。この点につき申請人らは、「申請人らの労働実態を具体的、かつ、詳細に検討すると、申請人らは被申請人会社の完全な使用従属の状態にあったのであるから、両者間には黙示の労働契約の成立が認められる」と主張するのであり、他方被申請人会社は、「被申請人会社は独立した企業体である製帳社との間に業務委託契約を結んでいたにすぎず、申請人らは製帳社との間で労働契約を締結してはいたが、被申請人会社とは全く何の関係もなかったのであり、明示的には勿論のこと黙示的にも被申請人会社が申請人らと労働契約を締結する意思はなかったのであるから、両者間に労働契約が成立している筈がない」と主張するのである。

この問題を解明するためには、昭和四四年四月一日の被申請人会社開局前後の頃から、昭和五〇年六月二〇日の被申請人会社の申請人らに対する無関係社告前後の頃までの六年有余におよぶ事実関係の確定が必要不可欠である。

そこで、以下、第一に、右事実関係の確定をし、第二に、右の事実認定をふまえ、法律上の問題点につき、逐一当裁判所の見解を示すことにする。

第一当裁判所の認定事実

一  本件紛争の背景事情……その一(被申請人会社の開局)

《証拠省略》によれば、以下の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

1 被申請人会社開局に至る経過

被申請人会社は昭和四四年四月一日に開局したテレビ放送を業務とする株式会社(開局当時資本金三億八〇〇〇万円「STS」と呼ばれる。)であり、フジテレビジョンネットワークに加盟し、広告放送(CM)による広告料を主要な収入源としている企業であり、大型株主としては西日本新聞社、佐賀新聞社等が名を連ねていた。被申請人会社は九州他県の各地方民間テレビ放送局に約一〇年遅れ、UHF局として右のように開局したが、このように開局が遅れたのは、佐賀県では他県からのVHF波帯の電波が受信出来ること、同県内においてはVHF局の認可を受けることが出来ない事情にあったこと及び同県の経済的基盤が弱く広告収入が得にくいこと等の理由によるものであった。加えて、UHF局はVHF局に比較して設備費、消費電力等の放送経費が高く掛ることから、諸経費節減等の経営合理化によりこれを克服しようとの経営方針が立てられた。又、開局当初の予定では、いわゆるキー局であるフジテレビジョンから送ってくる番組が大半を占め、残りの部分の大半をいわゆる準キー局ともいうべきテレビ西日本(TNC)――ここもフジテレビジョンの系列に属する――から送られてくる番組を使い、自主製作番組とよべるものは極めて僅かのものしか放映しないことにしていた。

そして被申請人会社開局準備にあたっては、テレビ放送業務に精通する者が皆無に等しかったので、大型株主である西日本新聞の資本系列にあるテレビ西日本から助言と指導を受けることになり、昭和四三年九月から一二月にかけて各種職員の研修を受けた。

2 被申請人会社と東筑印刷株式会社の業務委託契約締結の準備

被申請人会社は、いわゆる四種業務及び印刷業務(以下両業務を「本件業務」と総称することもある。それらの内容の詳細は後述する。)についても当時テレビ西日本が採っていた方法を踏襲することにした。即ち、テレビ西日本(当時の本社所在地は、北九州市八幡区)は右業務を、北九州市八幡区に所在し印刷業一般を営業目的としていた東筑印刷株式会社(以下「東筑印刷(株)という。)に委託していたので、被申請人会社もテレビ西日本の口添えを得て東筑印刷(株)に本件業務を委託して被申請人会社社屋内で遂行してもらうことに決まり、被申請人会社と東筑印刷(株)との間で昭和四四年二月二〇日付で「放送番組編成業務委託基本契約事項」と題する書面(乙第一六号証)を取り交わした。その本文は以下のとおりである。

「(一) 業務種類

(1) スポットCMのフィルムプライス及びプレビュー

(2) 放送確認書(モニター)の記入

(3) 写植によるニューステロップ作成

(4) 自動番組制御装置にかけるパンチテープの作成(校正は被申請人会社の責任とする。)

(二) 什器備品は東筑印刷(株)にて設置する。

(三) 契約期間 昭和四四年四月一日から昭和四五年三月三一日まで

(四) 契約金 月間二〇万円

(五) 電話の架設は東筑印刷(株)にてする。

(電話料東筑印刷(株)負担)

以上の基本事項に従い、テレビ西日本と東筑印刷(株)の間に締結されている契約書に準じ、後日本契約を締結するため、この基本契約書を作成する。」

3 東筑印刷(株)の企業実態

東筑印刷(株)は荒牧又輔を代表取締役社長とし、事業場をもつ北九州市八幡区で一〇名位の従業員により本業の印刷業を営むかたわら、テレビ西日本の社屋内に一〇名位の女子従業員を派遣してテレビ西日本の四種業務及び印刷業務をも受託し、とりおこなっていた。右両者間には人的にも物的(資本的)にも一切の交流はなかった。右代表者の荒牧又輔は、息子の荒牧孝介が久留米大学に入学する頃から孝介をテレビ西日本での委託業務の仕事に派遣し、その中で委託業務の仕事を体得させ、(右仕事に関する知識・技術については)孝介が又輔を陵駕する程にまでなった。

4 東筑印刷(株)の準備状況

(一) 人的側面

東筑印刷(株)は右2の契約の具体化としての諸活動を社長荒牧又輔の息子である荒牧孝介(当時久留米大学三年在学中)に一切任せることとし、同人を昭和四四年二月下旬頃から佐賀市内に転居させて委託業務遂行のための準備にあたらせ、同月二五日、佐賀新聞紙上に「サガテレビ専属業務員急募、(中略)、面接日二月二七日より場所佐賀市嘉瀬町(中略)サガテレビ(構内)東筑印刷人事課」という募集広告を出し、これに応募した女子若干名を、同月二七日頃被申請人会社の仮事務所があった佐賀市嘉瀬町所在の株式会社佐賀トヨタ二階において、荒牧孝介が単独で面接し、同年三月二一日にも同趣旨の募集広告を東筑印刷株式会社名で出したうえ被申請人会社肩書地所在の構内において荒牧孝介が単独で面接して合計約一〇名の女子を採用した。これら面接の際、被申請人会社は面接会場の提供、応募者の面接会場への案内等の便宜は供与したものの、東筑印刷(株)の従業員の採用の過程で特別の注文を課することも、介入することもなく、一切を東筑印刷(株)に任せた。

そして、採用直後から被申請人会社社屋内に予定された就業場所に出勤してくる同女らに荒牧孝介自ら四種業務の技術習得に努めさせて、昭和四四年四月一日の被申請人会社の開局に備えた。

(二) 物的側面

東筑印刷(株)は印刷を本来の業務としている関係で、本件業務のうち印刷業務に必要な機械類は自ら調達して被申請人会社内に備えたが、印刷業と関係ない四種業務に必要な機械類は、印刷所としての利用度が全くないのに比し、被申請人会社において必要不可欠であること、しかも昭和四四年四月当時の値段で三〇〇万円もする高価品であることなどから、被申請人会社が購入して被申請人会社社屋内に備えつけた。

5 被申請人会社と東筑印刷(株)の印刷委託契約書

被申請人会社と東筑印刷(株)間では、昭和四四年四月一日の被申請人会社のテレビ開局を目前にして印刷委託契約を締結したが、開局後一か月位後に一部単価を修正のうえ同年四月一日付の「印刷委託契約書」と題する書面(疎乙第一号証)を取り交わした。その本文は以下のとおりである。

「被申請人会社(以下「甲」と称す。)は東筑印刷(株)(以下「乙」と称す。)との間に甲のテレビジョン放送用日刊印刷物の印刷委託に関し下記のとおり契約する。

第一条 甲は乙に対して、甲のテレビジョン放送用日刊印刷物を甲の構内で印刷することを条件で委託し、乙は必要な印刷機械を甲の構内に持込んで上記印刷物を受註し、納入することを約する。

第二条 甲は乙の印刷物の印刷に必要な部屋を乙に提供し、乙は一か月につき二万円を借室料として甲に支払うものとする(但し、水道・光熱費を含む)。

第三条 乙は常に甲へのサービスの徹底、改善に務めるとともに、甲の事業の特殊性を認識し、甲の緊急の要請については直ちにこれに協力する。又甲以外の印刷物は甲の構内では一切印刷しない。

第四条 乙は甲の構内に勤務する乙の従業員について常に保健・衛生及び風紀に留意し、火災、盗難の予防に万全を期せしめるとともに、甲が適当でないと認めた従業員は甲の構内では使用しない。

第五条 甲が乙に委託する印刷物の種類は次のとおり四種類とする。

放送進行表、テレビプログラム、テレビ切替表、番組解説

第六条 印刷物納入価額についてはつぎの基本単価によるものとする。

種類

単価

(原紙一枚につき)

標準枚数

放送進行表

三五九円

一六枚

テレビプログラム

四八八円

三枚

テレビ切替表

四二二円

一枚

番組解説

二四九円

五枚

第七条 甲は乙に対し前項の先方紙を支給する。

第八条 この契約に違反したときは甲はこの契約を破棄することができる。

第九条 本契約の期間は昭和四四年四月一日より昭和四五年三月三一日までとし、契約終了の意思表示をしないときは、この契約は同一条件を以って更に一か年延長するものとして、その後の場合もまたこれに準ずる。」

右のような経過を経て、東筑印刷(株)は被申請人会社から、四種業務及び印刷業務に関する委託を受けて、被申請人会社の社屋内に於て、右業務に従事することとなった。

二  被申請人会社における放送業務の流れとそのなかにおける本件業務(昭和五〇年六月一日現在)

ここで、便宜被申請人会社社屋内における放送業務の流れとそのなかにおける本件業務の占める位置を明らかにすることにより、三以下の記述内容の理解の手助けとしたい。(ここに述べるのは、昭和五〇年六月一日現在即ち、申請人らが解雇されたと主張する時点に近接した時のそれであるが、大局的に見れば、右時点と被申請人会社の開局当時である昭和四四年四月頃のそれとに大差があるとは認められないことに注意を喚起しておきたい。又、ここでは特に申請人らの誰がどの業務に従事していたかは重要でないので――この点は後に詳述する――特定しない。従って、ここで「申請人ら」というのは、「申請人らのうち当該業務に従事する申請人ら」の意味である。)

《証拠省略》を総合すると次のような事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

放送業務の流れを大まかに見れば、別紙「放送準備から放送終了まで(昭和五〇年六月一日現在)」のとおりである。これを詳述すると、以下のとおりとなる。

1 番組の編成及び構成

(一) 基本番組表(月刊プロ)の作成

被申請人会社はフジテレビジョンネットワークに加盟しており、その基幹局であるフジテレビ(CX)をはじめ、東海テレビ(THK)、関西テレビ(KTV)テレビ西日本(TNC)から提供される編成情報に基づいて、ネット番組の編成がなされ、それと併行してローカル編成即ち自主製作番組の編成がなされ、一か月単位の放映番組の基本的枠組の編成案が編成・デスクにおいて決定される。この番組編成案は営業部に回され、同部は広告主を番組毎に開拓する作業にとりかかる。こうして編成・デスクと営業部とは密接な連絡をとりながら、各番組に広告主(いわゆるスポンサー)がついた段階で、番組編成案に広告主を併記した一か月毎の放送内容を基本番組表(「月刊プロ」と通称される。)として決定する。

(二) サガテレビ放送番組(日刊プロ)の作成

編成・デスクでは月刊プロ及び被申請人会社の基幹局であるフジテレビをはじめ、関西テレビ、東海テレビ等から送られてくる一日の放送番組(それぞれのテレビ会社の「日刊プロ」)に基づき、一日の被申請人会社の放送確定番組の放送時間、番組内容を、放送開始から終了に至るまで順を追って構成したサガテレビ放送番組(「日刊プロ」と通称される。)が放送一〇日前までに作成される。これは一般の新聞紙に記載・報道される各テレビ・ラジオの放送番組欄の被申請人会社の分に該当するものである。そこで、その原稿は申請人らのタイプ印刷を終えて各新聞社へ発送される。

右発送後日刊プロの誤りがわかると、日刊プロの追加訂正表が申請人らのタイプ印刷を経て、同様にして発送される。

(三) 放送進行表の作成

編成・デスクにおいては、日刊プロに基づき、被申請人会社の一日の放送番組の放送開始から放送終了までの番組名及びスポンサー名、番組の開始・終了時刻、フジテレビ等から提供を受ける番組で、番組本編の中にはさまるコマーシャルフィルムが含まれているかどうか、放送番組と放送番組の間(ステーションブレイク、「ステブレ」と略称される。)に入れる広告の広告主・丸点時間・使用する広告素材の画と音の種別などを、時間は秒単位で明示した放送進行表の原稿を作成する。この原稿は申請人らによりタイプ印刷され、被申請人会社の編成・デスクは印刷された放送進行表の過誤がないことを確認したうえで、以後の放送準備作業を担当する編成放送課に仕事を引き継ぐことにより、番組編成・構成の仕事を終了することになる。

2 放送準備

編成放送課では、編成・デスクにより作成された放送進行表に基づき、放送に使用する各種素材を揃え、次の放送を担当する技術部に提供する仕事を担当する。この過程を詳述すると、以下のとおりである。

(一) ステブレCMフィルムの編成・試写

一日の放送内容を詳細に表示している放送進行表に基づいて用意すべき放送素材の準備のうちステーションブレイクのコマーシャルフィルム(いわゆるステブレCMフィルム)の編成作業が申請人らに依頼される。ステブレCMフィルム素材は予めスポンサーから数種類のコマーシャルフィルムを一本にまとめたものが被申請人会社に送付されて収納箱(フィルムロッカー)に整理収納されている。申請人らは、その収納箱から放送進行表に基づき該当するコマーシャルフィルムが含まれる一本のCMフィルム素材を必要数だけ取り出して、該当するフィルム部分をフィルムスプライサーという機械にかけてスポンサー毎に切りとり(これを「フィルムスプライス」という。)、切りとられた該当フィルム部分を次々とつなぎあわせて編成することにより、その作業を一応終える。次いで、ステブレCMフィルム編成が放送進行表に基づき正確になされたかどうかを検査するために、申請人らはプロゼッターと呼ばれる映写機にかけ、秒数をはかりながら試写(この作業を「プレビュー」と呼んでいる。)し、間違いがないことを確認して放送編成課に引き渡す。ステブレCMに仮に間違いがあったとしても、その影響する範囲は被申請人会社のサガテレビを視聴する範囲に限られるから、迷惑のかけ具合も次に述べる番組本編CMに比較するとはるかに小さいものである。

(二) キューシート(Qシート)作成

被申請人会社がキー局であるフジテレビ等から提供を受ける番組には、番組本編の中にはさまるコマーシャルフィルムが予め完全に含まれている場合と、そうでない場合がある。後者の場合には被申請人会社の方で、未定の時間枠部分をコマーシャルフィルムで穴埋めしなければならない。被申請人会社では番組発局からの具体的指示(同じスポンサーの同じ品物でも、東京と九州では商品名が違うこともあるし、またどの時間にどのコマーシャルを使用するかが、放送開始に近接する日時まで未定の場合もある。)等を待つなどして、地方番組(ローカル番組)でない全国番組本編中のコマーシャル部分の被申請人会社独自のフィルム編成作業を行なう。これは、番組毎に番組及び各コマーシャルの開始・終了時刻・それぞれのスポンサーとコマーシャルフィルムの内容(時間は秒単位で)を特定されたキューシート(CUE SHEET、普通「Qシート」と称される。)と呼ぶ書面に記載される。従って、一日の放送予定の全容は、前記した放送進行表とQシートが完備して始めて明らかになる。(というわけで、放送進行表にはQシートを参照しなければならない箇所には、「Qシート参照」と注記されている。)

そして、このQシートに基づき、被申請人会社の編成放送課員自らが、ステブレCM用素材とは違った場所にまとめて収納整理してあるところから、申請人らの行うステブレCM編成作業と同じ作業要領でコマーシャルフィルムの切りとりとつなぎあわせて編成する作業、ひきつづく試写を行い、番組本編CMフィルムの編成作業は終了する。ことの性質上、番組本編CMに間違いがあると影響する範囲も全国的になり、ステブレCMに比較しはるかに広くなる筋合である。また、ステブレCMの内容は放送日の三か月ないし一年前に決定しているし、そのCMフイルム編成作業の基になる放送進行表も放送日前二日には完成しているといった具合で時間的余裕は十分あるのに比し、番組本編CMの内容は番組発局からの具体的指示が遅くなること等により確定が遅れ、時間的余裕がない場合も起る。

(三) パンチテープの作成

ところで、被申請人会社においては、一日の放送内容は自動番組送出装置(ATS装置)により自動的に放映されるシステムになっているため、同装置を働かせるために、機械の行う内容と順序を定めたプログラムを作らなければならない。そこで、放送の全容を具体的かつ詳細に記載した放送進行表及びQシートに基づき、編成放送課ではQシートパンチ原稿というものを作成する。

作成されたQシートパンチ原稿は申請人らに渡され、申請人らは右原稿に基づき被申請人会社所有のニアックライターと呼ばれる機械を使って、テープに穴をあける作業をする。この作業従事者がキーパンチャーである。こうして作成されたものがパンチテープといわれるものであるが、ATS装置はこのパンチテープどおり作動するものであるから、その重要性はいうまでもなく、ここでのミスは致命的である。そこで、キーパンチャーがニアックライターを使って穴をあける作業をするとき、パンチテープが作成されると同時に、自動的に、記号化されたパンチ原稿完成品照合表ともいうべき書類(「パンチアウト」とよばれる。)が作成される仕組になっている。

編成放送課では、右照合表によりパンチテープの正確性を確認する。

(四) テロップの作成

(1) 被申請人会社のサガテレビでは、昼(一二時五〇分)、夕方(一七時五〇分)、夜(二三時)と三回のニュースを自主製作のうえ放送しているが、ニュースについては佐賀新聞社及び西日本新聞社から持ち込まれた原稿を被申請人会社の編成・デスクで検討したうえ、放送を可とするものについては写植タイトル連絡表に文字とその大きさ等を記入して申請人らに手渡される。申請人らは右連絡表に基づき、被申請人会社所有の写植機で打ち、出来上ったもの(これが「ニューステロップ」といわれる。)を担当社員に手渡すことになる。

(2) その他番組宣伝、天気予報、告知、催し物なども、被申請人会社は必要に応じて写植タイトル連絡表によって申請人らにテロップの作成を依頼し、申請人らはその依頼に忠実にテロップを作成し、交付する。

(五) 放送素材の放送室持込み

右のようにして編成放送課で放送準備されたパンチテープ、一本のフィルムに編成しおえたステブレCMフィルム及び番組本編CMフィルム、各種テロップ等の放送素材は、必要に応じて放送室に持ち込まれ、放送担当の技術部に手渡される。

3 放送

技術部では編成放送課から受けとった放送素材を放送機器にセットし、パンチテープもATS装置にセットし、時間の進行にあわせて放送する。

4 放送後の処理

(一) 放送終了素材の返却

放送終了した放送素材は、技術部から編成放送課へ返却される。一本のフィルムにまとめられているステブレCMフィルムについてはその作業をした申請人らに、フィルムを切りとり(これを「バラシ」と呼んでいる。)、それを更にスポンサー毎につなぎあわせ、ステブレCMフィルム編成前の状態にして収納箱に戻すことが依頼される。ステブレCMフィルム以外の放送素材は、編成放送課員において解体と整理がとり行われる。

(二) 放送確認書の作成

他方、放送終了後は、素材返却とは別に、現実に放送された通り表示する最終放送進行表の原稿が編成課で作成され、これに基づいて、広告主に対し契約通り放送したことを証明するため放送日、放送時間、スポンサー、代理店、放送番組等を記載した放送確認書を作成して各広告主に発送しなければならないが、この放送確認書の作成はすべて申請人らに依頼され、申請人らはこれを書きおえると被申請人会社の営業部へ納めることとなる。広告料収入の基本になる書類ということができる。

5 雑印刷業務

被申請人会社の社員の中には、タイピストが皆無であったので、申請人らは、日刊プロ、日刊プロの追加訂正表、放送進行表のタイプ印刷の外、辞令書、覚書、企画物の案内状、放送日誌その他の雑印刷一般をも被申請人会社の総務を介して依頼され、定時的な日刊プロ、放送進行表のタイプ印刷の合間をぬって、右雑印刷一般の業務に従事する。

三  本件紛争の背景事情……その二(東筑印刷(株)下の従業実態と製帳社の登場)

《証拠省略》によれば以下の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

1 東筑印刷(株)下の従業実態

(一) 当初の頃

本件業務に従事する者として東筑印刷(株)により採用された女子従業員に対し、同社は速やかに厚生年金・社会保険・失業保険の雇用主として必要な手続を履行し、荒牧孝介も毎日被申請人会社社屋内に出勤し、四種業務についての素人である従業員に自ら仕事を教える多忙な日々を送った。

給与の額や支払日については佐賀市内の標準等に暗かったことから、東筑印刷(株)の本社(北九州市八幡区所在)にあわせ、支払日も二五日締めの翌月五日払いとし、従業員の休暇はテレビ西日本における本件業務に従事する者と同様、フィルムスプライスとか写植等仕事の性格上、日曜日に定期的に休暇がとれない者は交替で日曜日に休ませ、あとは代休で調整させ、印刷業務に従事する者は日曜日に休暇をとらせ、一日の始業時間は東筑印刷(株)の本社でのそれが午前八時だったのを被申請人会社のそれにあわせ午前九時とし、終業時間は右の本社での拘束時間が八時間であること、及び当初は被申請人会社も本件業務に従事する者も仕事に慣れておらず、仕事が遅れることが多くあった関係で、午後六時とした。

勤務時間を把握するタイムカードは東筑印刷(株)の本社から取り寄せ、手書きをさせていた。

又、荒牧孝介は最初に採用した女子職員一名の希望する勤務時間が昼から、ということであって、到底本件業務の遂行には無理と判断し、同人に辞めてもらったこともあった。

(二) 常駐責任者としての秋山玲子の指定(昭和四四年一一月)

昭和四四年秋になって、荒牧孝介の父で東筑印刷(株)の代表取締役社長である荒牧又輔が健康を害し、荒牧孝介が東筑印刷(株)の経営をもみなければならない事情が発生したので、同人が佐賀に常駐しえなくなった。しかし同人の不在による被申請人会社の本件業務遂行に関する不安を解消させる目的で同人に代る人物を被申請人会社宛指定通知し、責任態勢を明確にしておいたがよいとの判断のもとに、荒牧孝介は当時の被申請人会社において自ら採用し、使ってきた職員の中から年令的にも性格的にも最も信頼のおける人物として秋山玲子に白羽の矢をたて昭和四四年一一月五日付の「常駐責任者について」と題する文書で、被申請人会社宛に同女を東筑印刷(株)の被申請人会社内における常駐責任者とする旨を届出て、その了承を得た。

以後、荒牧孝介は週に一回位の割合で被申請人会社内に顔を出したり、給料を手渡したりしていた。

(三) 申請人安岡すま子・同蒲原麗子の採用(昭和四五年一〇月)

東筑印刷(株)は本件業務に従事する女子職員を昭和四五年秋に補充することになった。同社は募集広告で「面接・勤務場所サガテレビ内」としていた。それに応募した者の中に申請人安岡すま子(旧姓内川、以下同じ。)と申請人蒲原麗子がいた。

申請人安岡すま子は被申請人会社社屋内で、秋山玲子及び同女と同じく東筑印刷(株)の従業員として本件業務に従事していた小池富子の両名の面接を受けて東筑印刷(株)にタイピストとして採用され、本件業務に従事することになった。申請人安岡すま子は就業中のある日曜日週に一回位の割合で被申請人会社内に顔を出していた荒牧孝介を同僚から社長と教えられ、初めて同人を知った。

申請人蒲原麗子の場合は入社直後は四種業務のうち、確認書担当のみであったが、しばらくして秋山玲子よりパンチテープの作成をも指示され、未経験のキーパンチャーの仕事をも兼任することになった。申請人蒲原麗子にパンチテープ作成のミスがあったとき、被申請人会社の担当部・課長から秋山玲子に注意がいき、同女から更に右申請人に注意がいった。

(四) 作業場所の変遷

昭和四四年四月一日の被申請人会社の開局以来後述する昭和四六年三月末日の東筑印刷(株)の撤収までの二年間に、本件業務の作業場所は変遷を余儀なくされた。タイプ、パンチテープ作成、写植、フィルムスプライスの各業務でそれぞれ異なるが、それぞれ二、三回の移動をせざるをえなかった。いずれも東筑印刷(株)の必要と希望によるものではなく、被申請人会社のそれによるものであった。

2 製帳社の登場

(一) 東筑印刷(株)の撤収

前記のとおり、東筑印刷(株)の代表取締役社長荒牧又輔の健康状態がすぐれなくなって以来の昭和四四年一一月以降は、常駐して本件業務の総指揮をとっていた荒牧孝介も北九州市に引き揚げ、週一回位の割で佐賀市まで赴き、本件業務の進捗状況に一応目を通すという変則状態が続いていたが、昭和四五年秋頃から、荒牧孝介は東筑印刷(株)の本社の営業に専念しなければならない状況に立ち至り、本件業務を遂行する余裕がなくなりはじめた。そこで東筑印刷(株)は本件業務から全面的に手を引くことになり、荒牧孝介は本件業務を引き継いでもらう人物の物色にはいった。

被申請人会社には、数人の印刷業者の出入りがあったが、その中に製帳社(詳細は後述する。)の山崎巖がいた。荒牧孝介は被申請人会社の創設準備事務所時代から頻繁に出入りをしていた山崎巖を知り、かつ、懇意な仲になっていたので、同年一〇月頃に本件業務の引継ぎの話を持出し、翌四六年一月頃にはその話を具体的に進めることにした。山崎巖は、荒牧孝介から、女子従業員が全員仕事に熟練していて、真面目に仕事をし、仕事の円滑な遂行には問題がないうえ、採算が十分とれることや、本件業務及び業務委託契約の内容の説明をうけるうち、委託者の被申請人会社の佐賀市内において占める位置、知名度等を考慮すると、四種業務は全く未知のものではあったが、それを含めた本件業務を引受けて遂行することにより、本来の印刷業の発展に資するのではないかとの思惑のもとに、荒牧孝介の依頼を承諾することにした。こうして、昭和四六年三月本件業務に用いる機械類と従業員はすべてそのまま残し、本件業務の受託者を東筑印刷(株)から製帳社に変更することが荒牧孝介と山崎巖の両者間で合意され、被申請人会社には荒牧孝介から右の経過を説明して了承を得た。そこで、山崎巖は本件業務の具体的内容を自分の目で確めるべく、時間を見つけて本件業務に従事中の従業員らの傍で、見学することもあった。

(二) 被申請人会社と製帳社との業務委託契約

東筑印刷(株)からの本件業務引き継ぎに合意した製帳社は、昭和四六年三月被申請人会社との間で、左記の条項を有する「業務委託契約書「(疎乙第三号証、以下「昭和四六年契約書」という。)を取り交わし、同年四月一日からの本件業務遂行をまった。

被申請人会社(以下「甲」という。)と製帳社「以下「乙」という。)とは、甲のテレビジョン放送番組編成ならびに放送用日刊印刷物の印刷業務に関し、次のとおり契約を締結する。

第一条 甲は乙に、甲のテレビジョン放送番組編成ならびに放送用日刊印刷物の印刷に関する業務を委託し、乙はこれを受託した。

2 乙は前項の業務を、甲の構内に於て行なうものとする。

第二条 甲は、乙の業務遂行のために必要な作業場と電話機を乙に提供し、乙はその借用料として一ヶ月につき家賃二万円(水道・光熱費を含む)と通話料の実費を甲に支払う。

第三条 委託業務の種類は下記のとおりとする。

1 放送番組編成業務(以下「四種業務」という)

(1) スポット、CMのフィルムスプライスおよびプレビュー

(2) 放送確認書の記入

(3) 写真植字機によるニューステロップの作成

(4) 自動番組制御装置用パンチテープの作成

2 印刷業務

(1) 放送進行表の印刷

(2) テレビプログラムの印刷

(3) テレビ切替表の印刷

(4) 番組解説書の印刷

第四条 印刷業務に要する機器類の設備は、乙自らの手によって行う。ただし、材料たる紙は、甲が支給する。

第五条 乙は、四種業務のために甲が使用を許可した機器類ならびに第二条の貸与物件を善良なる管理者の注意をもって管理し、消耗、き損した物件ができたときは勿論、そのおそれがあるときは、事前に連絡をとり、業務に支障がないように努力しなければならない。

第六条 乙は、業務の遂行にあたり、特につぎの事項を遵守、了知するとともに、その趣旨を従業員に周知徹底させなければならない。

(1) 乙は常に甲へのサービスの完全なる提供とその改善に努めるとともに、甲の事業の特殊性を認識し、甲の緊急の要請に対しては、直ちにこれに協力すること。

(2) 乙は、甲の構内に勤務する乙の従業員についての保健、衛生ならびに風紀に留意し、清潔かつ、明朗な態度で業務に従事させ、伝染病疾病者、保菌者またはその疑いのある者を就労させないこと。

(3) 乙は、火災・盗難の予防に万全を期するとともにこれに関する甲の指示に従うこと。

(4) 乙は、乙の従業員に異動があったときは、遅滞なくその氏名と経歴を甲に届出なければならない。

(5) 甲が不適当と認めた場合、乙の従業員を甲の構内から退去させ、あるいは立入らせないことがある。

第七条 本契約に依る委託料を次のように定める。

1 四種業務については、月額二五万円とする。

2 印刷業務については、基本単価にもとずき、出来高に応じて支払う。

印刷物の種類

単価

摘要

放送進行表

原紙一枚につき 三五九円

標準枚数 一六枚

テレビプログラム

〃     四八八円

〃     三枚

テレビ切替表

〃     四二二円

〃     一枚

番組解説書

〃     二四九円

〃     五枚

第八条 甲は前条委託料を、当月分を翌月一五日に乙に支払う。

第九条 甲または乙は、相手方がこの契約に違反した場合、その是正を催告し、相手方がこれに応じなかったときはこの契約を解除し、損害賠償を請求することができる。ただし、乙または乙の従業員の故意または過失により、放送業務に重大なる影響を及ぼしたときには、甲は即刻、この契約を解除することが出来る。

第一〇条 この契約の各条項の内容が著しく、実情にそわなくなったときには、契約期間中といえども、甲乙協議して変更することができる。

第一一条 この契約の履行にあたり、疑義を生じた場合は、信義誠実の原則に従って円満解決するよう、互に協議の上処理する。

第一二条 この契約の期間は昭和四六年四月一日から昭和四七年三月三一日までとする。

2 前項にかかわらず、当事者双方共三ヶ月前の予告をもって、本契約を将来に向かい解約することが出来る。

3 期間満了までに、相互に契約終了についての何らの意思表示をしないときは、この契約は同一条件をもって更に一ヶ年延長するものとし、その後もこの例にならう。

(三) 製帳社の引継ぎ

こうして東筑印刷(株)から本件業務を承継した製帳社の山崎巖は、昭和四六年三月一四日頃、秋山玲子を通じて本件業務の従事者全員をレストランに集め、その席で、以後自分がこれまでの東筑印刷(株)に替って本件業務を担当する製帳社の社長であるから、よろしく頼む旨の挨拶をした。余りの唐突さに驚愕した申請人安岡すま子、島みどり、木村真知子のタイプ印刷部門の仕事に従事していた三名は、経営者のやり方に憤るとともに、自分達の将来の地位に不安を感じ、その直後に相談の上本件業務から手を引くことを決意し、東筑印刷(株)を辞職した。これにより、間近に迫った四月一日からの製帳社の本件業務が停滞することを恐れた山崎巖は、申請人安岡すま子を自宅に訪れ、数回にわたって辞職を思いとどまってくれるよう懇請したので、右申請人も受けいれるところとなり、四月一日からの製帳社による本件業務に復した。この機会に、山崎巖は右申請人に役職手当として月一〇〇〇円を新たに支給することを決めた。

しかし、東筑印刷(株)から製帳社への本件業務の経営者の変更を機会に、東筑印刷(株)の従業員の松江多美子、江口和美も身を引いたので、結局一〇人の職員のうち四人が退いたことになった。

四  製帳社の実態とその下での申請人らの労働実態

《証拠省略》によると以下の事実が一応認められ、これを左右するに足る確たる疎明はない。

1 製帳社の実態

(一) 製帳社のあらまし

製帳社とは、佐賀市紺屋町四番三号所在の建物に居住し、一部を事業場として一般事務用印刷・活版印刷・オフセット印刷・タイプ印刷・ビニール加工等の印刷全般を本業とする山崎忠次個人経営名義の「佐賀製帳社印刷」という商号の通称である。昭和四四年の被申請人会社の創設準備事務所が出来た頃から、製帳社は一般事務用印刷物を扱う業者として出入りを開始していたが、その頃は既に製帳社の営業及び経理とも山崎忠次の息子である山崎巖が一切を切り盛りし、実質上の経営者の立場にあった。製帳社で働く従業員は三名位で、就業時間は午前八時半から午後五時半までとされていた。製帳社は被申請人会社との間に人的にも物的(資本的)にも何らの交流もなかった。(以下、特に紺屋町における製帳社を指すときは「紺屋町の製帳社」とよぶことにする。)

(二) 東筑印刷(株)から引継いだ従業員

製帳社では本件業務に従事する職員として、東筑印刷(株)の従業員であった昭和四四年三月採用の秋山玲子、蘭節子、小池富子、野口鈴子及び昭和四五年一〇月採用の申請人安岡すま子・同蒲原麗子の計六人を引続き採用することにし、昭和四六年四月一日からの本件業務に就かせた。右六人は新たに製帳社宛履歴書を提出し、製帳社に新規雇用された形がとられた。

右の従業員の中から、山崎巖は秋山玲子を四種業務の総括的な責任者に、申請人安岡すま子をタイプ印刷業務の総括的な責任者に据え、月額役職手当として秋山に五〇〇〇円、右申請人に一〇〇〇円を支給することにした。右申請人の月額手当は昭和四八年には二〇〇〇円に増額されたが、後記する製帳社労組が昭和四九年四月結成されて以降は、右申請人の要求があって、交通費に組み込まれる結果となり、役職手当は廃止された。

(三) 新しく採用された申請人たち

その後、山崎巖は職員の辞職等による本件業務遂行の必要に応じ、本件業務に従事する女子職員を採用し、配置してきた。その従業員募集は新聞において、佐賀製帳社印刷名で「面接及び勤務場所 サガテレビ内」と明記するのを常とした。その面接は山崎巖の責任で実施し、被申請人会社から注文がつけられたり、介入されたりしたことは皆無であった。採用すると直ちに、山崎巖は健康保険・厚生年金・失業保険等の手続を履行した。

(1) 昭和四七年七月秋山玲子が結婚を理由に退職した。

(2) 申請人陣内たみ子、同船津京子は同年九月山崎巖の面接を受けて製帳社に採用され、本件業務に従事するようになった。

(3) 申請人高木啓子(旧姓中牟田、以下同じ。)及び申請人森節美は昭和四八年四月一日製帳社に採用された。申請人馬場悦子もその頃までには製帳社に採用されていた。

右のような経過の下に、申請人七名全員は昭和四八年四月頃には同一職場でお互いに顔を合わせながら勤務する態勢にあった。

2 製帳社の下での申請人らの労働実態

(一) 作業場所

製帳社が本件業務を承継した昭和四六年四月以降は、タイプ印刷業務の場所が被申請人会社の必要と希望とにより変更されたことが一回あるが、他は東筑印刷(株)から承継した当時のままであった。申請人らが全員揃った昭和四八年四月頃の作業場所は以下のとおりであり、この状態が、本件紛争の発火点となる昭和五〇年六月まで継続した。

作業室以外の被申請人会社社屋内の湯沸室や便所、休憩室は勿論のこと被申請人会社所有のロッカー等の使用も申請人らに許されており、作業場所を含めて申請人らの使用する被申請人会社社屋内の場所には、製帳社を表示するものは何もなかった。

(1) パンチテープ作成室及び写植、放送確認書

この場所は、技術・編成・営業・総務の各部が一緒にいる被申請人会社社屋二階(以下「二階事務室」という。)西側部分にパネルで間仕切りが施されて確保された。この間仕切りはパンチテープ作成作業による騒音防止のために設けられたものであり、後記の通り申請人らの作業と社員の作業は密接に関係し合っていたために、出入口があり、また、そこの作業場所と社員の作業場所とは外見上異なるところがなかった。

(2) フィルムスプライス

この作業は二階事務室の北隅にロッカー(フィルム素材を収納したロッカーを含む。)で四周をゆるやかに囲まれた格好の部分で行われた。

(3) プレビュー室

編集しおえたステブレCMフィルムの試写をするプレビューは、本件二階事務室の階下部分にある独立した部屋の提供を受けて実施した。

(4) タイプ印刷

これはステブレCMフィルムのプレビュー室の近くの部屋の提供を受けてなされた。そこには製帳社を表示するものはなかった。

(二) 作業内容

右の作業場所での申請人らの昭和四八年四月頃以降昭和五〇年六月頃までの作業内容は以下のとおりである。

(1) タイプ印刷業務

この業務に従事していたのは、申請人らのうち安岡すま子・馬場悦子・船津京子・森節美であった。この業務内容には業務委託契約書(前記昭和四六年契約書及び後記昭和四九年契約書の双方を含む。)に定められた日刊プロ及び放送進行表とそれ以外の雑印刷一般の二つに大別される。

イ 日刊プロ

これは被申請人会社社屋二階にある編成・デスクの方で原稿を確定し次第、被申請人会社の担当職員が階下にあるタイプ室に右原稿を持参し、タイピストである該当申請人らに手渡される。平常は午後二時頃原稿の受渡しが行われる。該当申請人らは、これに基づいてタイプし印刷をすませると、三枚一組の日刊プロをホッチキスで四〇部作成し、予め被申請人会社から提供備え付けられている各新聞社の記名印を使って、これも被申請人会社から予め提供されている封筒・切手を使い発送準備を完了する。この作業が同日の午後四時頃までに完了すると、該当申請人らは、これを階上の編成・デスクの担当職員に手渡し、この時点で日刊プロに関する該当申請人らの仕事は落着となるが、右時刻までに発送準備が完了しないときは、該当申請人らが自ら郵便局に赴き、現実の投函まで行わなければならない仕組になっており、ここまでして落着となる。

但し、印刷投函された日刊プロは編成・デスクの担当職員によるチェックを受け、ミスもしくは追加訂正があった場合は、追加訂正という紙に書き込まれ、右同様の手順で、再びタイプして印刷された「日刊プロ追加訂正表」が、各新聞社宛再発送されることになる。

申請人安岡すま子は、日刊プロにおけるタイプの際、ある宗教団体の個人名を一字誤ったことから、被申請人会社が関係宗教団体の人から怒られたとして、被申請人会社の担当職員(管理職)から何度も怒られたことがあった。

ロ 放送進行表

これも編成・デスクで原稿が出来上り次第、日刊プロ同様に被申請人会社の担当職員から該当申請人らに手渡される。平常は放送日二日前の午前一〇時頃原稿の受け渡しが行われる。タイプ原紙に打ち終ると該当申請人らで読み合わせをし、過誤のないことを確認して印刷に付される。出来上ったものは二〇枚一組をホッチキスでとめて二〇部作成し、これを階上の編成・デスクの担当職員に手渡し、これで放送進行表に関する該当申請人らの仕事は落着する。但し、この放送進行表にミスもしくは変更があると、担当職員から電話で二階の編成・デスクまで呼びだされ、修正個所を具体的に指示され、該当申請人らはその指示どおりに修正することになる。

被申請人会社の都合で番組が大幅に変ることが、放送進行表の印刷後におこると、担当職員がタイプ室にきて原稿の修正をし、該当部分のみのタイプ印刷のやり直しと、切り張りによる放送進行表の再作成が該当申請人らによりなされ、それを編成・デスクの担当職員に手渡してはじめて、該当申請人らの放送進行表に関する仕事は落着となる。

ハ 雑印刷一般

雑印刷一般は被申請人会社の各部門から依頼がくる。

編成部からは台本、番組審議会の議事録その他の一般印刷である。

営業部からはゴルフなどの企画物、試写会の告知、それに東京・大阪・福岡にある被申請人会社の各支社からの依頼などのタイプ印刷である。

総務部からは各種辞令、各種の表等のタイプ印刷が依頼される。

技術部からは郵政省に出す各種申請書、放送記、日記といった類のタイプ印刷が依頼される。

右のような雑印刷一般は、被申請人会社の担当職員が、原稿をタイプ室に持ってきて、日常的なものを除き字の大きさ、字の間隔、紙質、部数、出来上り時間を具体的に指示していく。時には、該当申請人らが二階まで呼びだされて同様の指示と原稿の手渡しがされることもある。該当申請人らは右指示に従って原紙にタイプし、それを自分たちで読み合わせし、その後依頼した担当職員らにミスがないかどうかチェックしてもらい、その確認後に印刷し、製本して担当職員に手渡される。これらの雑印刷は時間が定っているわけでもないので、被申請人会社の必要に応じて、該当申請人らは定期的・定量的な日刊プロ及び放送進行表のタイプ印刷の合い間をぬって仕あげることになる。

ニ 担当職員の協力

とはいっても、日刊プロ及び放送進行表の原稿が遅れて確定することもあり、該当申請人らのみでは被申請人会社の放送業務の制限時間内にタイプ印刷の製本までの仕事を完了しえないと思料されるときは、被申請人会社の担当職員も該当申請人らと一緒になって、出来上った印刷物の製本を手伝うこともある。

ホ タイピストである該当申請人らは、被申請人会社から発注される以外の仕事は一切したことはないし、山崎巖も紺屋町の製帳社の仕事を依頼したこともない。

(2) フィルムスプライス、プレビュー及びバラシ

この業務に従事していたのは申請人陣内たみ子と申請外小池富子、同蘭節子(但し、同女は後述のとおり昭和五〇年五月退職)であった。

イ フィルムスプライス

申請人陣内たみ子は朝九時半に出勤すると、編成・デスクのところに行って、印刷ずみの出来上った翌日分の放送進行表を受けとり、編成・デスクの近傍にあるフィルム素材を収納したロッカー(フィルムロッカー)等で四周を囲まれた部分に赴き、そこで放送進行表に基づきステブレCMの素材を、フィルムロッカーからとりだし、その必要個所をフィルムスプライサーという機械で切り離し、切り離された数編のフィルムを順序よくテープはさみでつなぎあわせ、ステブレCMのフィルムを朝班と夜班の二つに分けて、それぞれ一本化する。

被申請人会社の都合により特別番組が入るときは、ステブレCMの内容と時間にも変更があるときがある。そのときは編成・デスクや営業の担当職員から具体的な指示をうけ、その指示のもとに、申請人陣内たみ子らはステブレCMのばらし、つなぎの編集をする。

ロ プレビュー

その編集されたステブレCMフィルムが、放送進行表に記載された順序と時間(秒単位)どおり正確になされているかどうかを、プレビュー機にかけ、検尺機を使って試写する。そして、誤りのないことを確認したうえで放送素材箱に入れ、この段階で放送前の申請人陣内たみ子らのフィルムスプライス作業は完了したことになる。

ハ バラシ

放送終了したステブレCMフィルムは、再び所定の場所にある箱に入れられる。申請人陣内たみ子らは、それをステブレCMフィルムの編集と全く逆の手順で、即ち先ずそれらをフィルムスプライサーで各スポンサー毎のフィルムに切り離し、それらを元通りのスポンサー毎の一本のフィルムにつなぎあわせ、それをフィルムロッカーの所定のスポンサー毎の箱に収納する。

ニ ステブレCMフィルムの編集ミス

かつて、ステブレCMフィルムの編集に間違いがあり、誤って放送されたとき、間違った小池富子は被申請人会社の営業部の課長から直接注意を受けた。

ホ 使用機材・道具

右の各作業に使用するフィルムスプライサー、テープはさみ、検尺機、プレビュー機、リール等はすべて被申請人会社所有のものであり、フィルムそのものも被申請人会社の管理するものであって、それらはすべて番組本編のコマーシャルフィルムのつなぎ、バラシ、編集を担当する被申請人会社の担当職員と共同使用していた。

(3) パンチテープ

この業務に従事していたのは申請人高木啓子及び同蒲原麗子であった。

イ パンチテープの作成

パンチ原稿を作成した編成放送課では、朝班分は放送日前日の午後、夜班分は放送日当日の午前に担当職員の手を通して申請人高木啓子らに手渡す。同申請人らは右原稿に基づいてニアックライターといわれるパンチ機械を打ちながら、パンチテープを完成する。出来上ったパンチテープは右申請人らが編成放送課の担当職員の所に赴き手渡す。パンチテープに間違いがあることをチェックする担当職員が発見すると、右申請人らに訂正の指示がなされ、右申請人らは速やかに指示どおりパンチテープの訂正をして、担当職員に手渡すことになる。

ロ 使用機材・道具

パンチテープ作成に使用するニアックライターは被申請人会社所有であり、パンチテープ及びパンチアウト(いわゆるパンチ原稿完成品照合表)といった資材はすべて被申請人会社の提供になる。ニアックライターが故障すると、申請人蒲原らは直接、被申請人会社総務課の担当課長に申出、単純な故障は被申請人会社の職員が直すが、それ以上のものは総務課を通して機械の修理会社に連絡してもらい、修理を完成させる。費用は勿論、被申請人会社で負担する。

(4) 写植(写真植字)

この業務に従事していたのは申請人陣内たみ子と申請外蘭節子(同女は後述のとおり昭和五〇年五月退職)であった。右申請人は昭和四七年九月製帳社に雇用され、写植という仕事を担当するよう山崎巖から指示された。それ以上の具体的な指示・説明はなかったので、右申請人は写植担当の当時の同僚である野口鈴子や蘭節子から説明・指導を受け、写植のやり方、段取りといったものを習得していった。

イ テロップの作成

申請人陣内たみ子らの作成するテロップは、通常は一枚につき、二、三分もあれば出来上るものであるが、そのテロップはニューステロップとその他のテロップとの二種類に大別される。

(イ) ニューステロップ

被申請人会社のサガテレビでは昼(一二時五〇分)、夕方(一七時五〇分)、夜(二三時)と三回のニュースを自主製作のうえ放送しているが、昼のニュースを例にいえば、編成・デスクから放送三〇分位前に写植タイトル連絡表に文字とその大きさを指示したいわゆる原稿が申請人陣内たみ子に手渡される。同申請人は写植機を使って速やかにニューステロップをテロップ印字紙に打ち、打ち終えると現像液・安定液につけ、次いでドライヤーで乾燥させ、完成するとニュース担当者のところに持参して手渡す。

ニューステロップの作成が時間的に余裕がない場合は、原稿依頼者たる被申請人会社の担当職員がテロップ印字紙が打ち上るのを待って、隣で現像液につけたり、ドライヤーで乾かしたりして、テロップの完成を共同した。

申請人らの昼休みは後記のとおり一二時から一三時半までであったが、申請人陣内たみ子はニューステロップの作成依頼がいつくるか不定であったこと、更にニューステロップの間違い(誤字、脱字)や変更による訂正がありうること、などから、一二時からニュース放送終了時刻ごろまでは常に社内待機の形を余儀なくされていた。

(ロ) その他のテロップ

ニューステロップの他に、番組宣伝テロップや告知・試写・天気予報・提供等のテロップ、台風・選挙速報・合格発表等のいわゆる特番関係のテロップがある。編成放送課から依頼のある場合のほか、営業部から依頼がくる場合もある。申請人陣内たみ子は各種依頼に応じてテロップをニューステロップと同様のやり方で完成し、それを被申請人会社の担当職員に手渡してテロップの作成を終える。間違いがあると、その都度右担当職員から指示をうけ、訂正することになる。

(ハ) 絵入りのテロップ

絵入りのテロップの場合は、写植室で先ずテロップ印字紙に、指示どおりに文字のみのテロップを打ち、それを被申請人会社の美術担当の職員の所に持参して、絵を入れてもらい、それを更に写植室に持ち帰ってテロップに焼きつけ、再び右美術担当職員の所に持参して彩色してもらって、ようやく完成ということになる。

(ニ) 時間外のニューステロップ作成

夜の最終版のニュース(二三時)用のテロップ作成依頼が申請人陣内たみ子の勤務時間内にこない場合、もしくは急に報道すべき事件の原稿がくる場合で残業を余儀なくされたことは月に一、二回、多いときは六回(たまには全然ない月もある。)もあった。右申請人が自宅に帰っているときは、被申請人会社の編成・デスクの担当職員から右申請人に電話があって呼び出され、被申請人会社社屋の写植室に出向いて、ニューステロップの作成に従事した。

ロ 使用機材・道具

テロップ作成に使用する写植機は被申請人会社所有であり、テロップ印字紙・現像液・安定液等必要な消耗品はすべて被申請人会社の提供になるものである。

写植機の故障の場合は、ニアックライターの故障の場合と同様、単純なものは被申請人会社の職員が修理していたが、それ以上のものは、被申請人会社の管理職を通して修理会社に修理を依頼し、その費用はすべて被申請人会社で負担した。

(5) 放送確認書

この業務に従事していたのはパンチテープ作成のキーパンチャーと同じく申請人高木啓子及び同蒲原麗子であった。

予定された放送が終了すると、営業部で放送確認書の原稿が作成される。それに基づいて右申請人らが、放送確認書とよばれる不動文字の印刷された定型用紙の必要空白欄にペン書きで記入し、出来上ったものはスポンサー毎にまとめるなどして、右申請人らが営業部に持参することになり、これをもって右申請人らの放送確認書の作成作業は終了する。

(三) 労働時間等

(1) 勤務時間

紺屋町の製帳社に働く従業員の勤務時間は午前八時から午後五時までとなっており、終始変ることなく続いているのに、申請人らのそれは紺屋町のそれとは無関係に被申請人会社の勤務時間に対応して定められていた。東筑印刷(株)時代に被申請人会社の勤務時間が午前九時より午後五時までとなっていたことから午前九時より午後六時までとされていたことは前示のとおりであるが、その後被申請人会社の勤務時間が午前九時半から午後五時半までとされた際に申請人らの勤務時間は午前九時半から午後六時までとなり、更に後述するように申請人らで後日結成した製帳社労組の要求により昭和四九年六月五日より被申請人会社と同じ勤務時間に変更された。但し、昼の休憩時間は被申請人会社のそれが午前一一時から午後二時までの間に一時間宛の三交替制であったのに対して、申請人らのそれは一二時から午後一時半までの一時間半であった。

出退勤時間を打刻するタイムレコーダーとタイムカードの使用は、被申請人会社所有のものの使用が許されていた。(但し、昭和四九年一〇月か一一月頃かに、タイムカードだけは製帳社のものに切り替えられた。)

(2) 休日

紺屋町の製帳社に働く従業員の休日は、日曜日のみであり、祝日のうちでは年間二日間のみ(子供の日と勤労感謝の日)にすぎなかったが、申請人らは被申請人会社と同様日曜日、隔週土曜日と祝日及び生理休暇日(月二日)が休日となった。但し、被申請人会社の放送業務には休日がないので、申請人らも一斉に休日に休めるはずもなく、申請人らで放送業務に十分配慮をした上で予め相談し、休日に休むものと、その日は出勤して代休をとる者を自主的に定めて勤務表を作成し、一階タイプ室のロッカーに貼っていた。

日曜日、隔週土曜日の休日、年末年始、夏休みの休暇は、申請人らと被申請人会社社員との間に差はなかった。

(3) 賃金

昭和四六年当時申請人安岡すま子(当時二一才)の基本給が二万八〇〇〇円、申請人蒲原麗子のそれが二万五〇〇〇円であったのに比し、同申請人らと同年令の被申請人会社社員のそれが三万二〇〇〇円であり、昭和四八年当時の月額基本給は二三才の申請人安岡すま子の場合三万七〇〇〇円(被申請人会社の同年令社員のそれは五万六六五〇円、以下かっこ内は同様)、二三才の申請人蒲原麗子の場合三万五二〇〇円(五万六六五〇円)、二〇才の申請人船津京子の場合三万二七〇〇円(四万七九四〇円)、二〇才の申請人陣内たみ子の場合三万三〇〇〇円(四万七九四〇円)、二一才の申請人高木啓子の場合三万三〇〇〇円(五万〇六〇〇円)、一九才の申請人森節美の場合三万二〇〇〇円(四万六八八〇円)、二三才の申請人馬場悦子の場合三万二〇〇〇円(五万六六五〇円)であった。

賞与も年間を通して、昭和四八年で被申請人会社社員のそれが基本給の八・〇七二か月分プラス三万円であったのに比し、申請人らのそれは基本給の二・九か月分プラス一・六五万円であった。

3 紺屋町の製帳社と本件業務

(一) 紺屋町の製帳社と山崎巖

紺屋町の製帳社の仕事のあらましは前記したが、山崎巖はそこの注文取り、契約内容の確定、値段の交渉等の営業関係一切を切り盛りし、従業員の技術指導を一手に引き受け、従業員に対する仕事の割付け、従業員の管理等も取り仕切っていた。

(二) 利潤の比較

紺屋町の製帳社であがる利潤と本件業務による利潤とは、従業員数は前者が後者の約三分の一であるのとは逆に、前者が後者に比較して圧倒的に多かった。

(三) 仕事の内容

仕事の内容も、紺屋町のそれは印刷が主であって、タイプを打つ行為は一切していなかった。必要な場合はタイプを外注していた。従って、本件業務に従事する申請人らと同じ仕事をしている従業員は紺屋町の製帳社にはいなかった。

(四) 従業員の勤務体制と交流

従業員の勤務体制も、紺屋町のそれと申請人らのそれとは何ら関連づけられておらず、両者間の従業員の交流も絶無であった。

(五) 山崎巖と本件業務

山崎巖は本件業務の各種内容についても、タイプ印刷業を除いては全く未知・未経験であったし、仕事の内容を徐々に覚えはしたが、それは申請人らの仕事ぶりを見ながらであった。

また、被申請人会社へ顔を出すのも、時たまであり、顔を出しても短時間といった具合で、本件業務の遂行は申請人らに頼りっきりといった状況であった。

(六) 本件業務のミスと損害賠償義務

本件業務の遂行過程で申請人らがミスを犯した場合もあるが、被申請人会社側から製帳社側にその問題が指摘されたことも、損害賠償責任追求の話がもちだされたことも全然なかった。

五  本件紛争の遠因―その一

1 民放労連の闘争方針

《証拠省略》によれば、以下の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

(一) 民放労連の組織

民放労連とは昭和二七年に結成された日本民間放送労働組合連合会という正式名称の略称であり、昭和五一年現在で、日本にある民間放送会社約一〇五社の正社員二万五〇〇〇名位とその会社の関連下請企業の従業員五ないし六〇〇〇名を対象としており、民間放送局の単位労働組合七一組合(組合員数約一万名)、関連下請企業の単位労働組合三四組合(組合員数約一〇〇〇名)の計一〇五組合(組合員数計約一万一〇〇〇名)が加盟している全国的な連合会組織である。

民放労連は、結成以来放送労働者の労働条件の向上等を目指して闘争をすすめてきた。

(二) 職安法四四条違反摘発闘争の決定(昭和四九年)

(1) 差別雇傭問題の発生

昭和二八年民間テレビ放送が開局されたのを皮切りに、日本全国で開局が相次ぐことになった。テレビ放送はラジオ放送に比べ、はるかに多くの人員(三倍程度はいるといわれる。)を必要としたが、テレビ放送会社側は正式社員の外に、いわゆる臨時工、社外工的な職員(以下、本項ではこれら職員を便宜「下請社外工」とよぶこともある。)を採用したりしていた。これら職員は正式社員に比し労働条件で差別されているばかりか、その存在が正式社員の労働条件の向上をも妨げているという認識から、民放労連も右のような差別雇傭の実態に目を向け、昭和三七、八年頃から差別雇傭撤廃の闘争に乗り出すことになった。

(2) 下請社外工の三態様

下請社外工は三つの態様に大別される。第一は放送番組製作関係(例えば、技術・照明等)に導入されるもの、第二は放送番組実施に付随する作業過程に導入されるもの、第三は局舎管理といって電話交換、受付、警備、清掃等の部門に導入されるものである。

(3) 差別雇傭撤廃の闘いのあらまし

民放労連では一九六五年(昭和四〇年)の第一七回大会以来「下請による搾取強化反対」の要求をうちだし、下請労働者の組織化を含めた闘いの方向を目指し、次いで昭和四二年一〇月下請労働者の組織化の方針を決定した。併せて、全国各民間テレビ放送会社における差別雇傭反対、社員化闘争を指導してきた。

(4) 職安法四四条違反摘発闘争の決定(昭和四九年)

昭和四九年五月、民放労連では下請社外工の問題は職業安定法(以下「職安法」という。)四四条で定めた労働者供給事業の禁止に抵触するものであるとの見地から、その摘発闘争を雇用差別反対闘争の一局面に位置づけ、下請労働者の組織化と主体的な闘争を軸に社員化闘争を前進させることを夏期特別闘争方針の一つに据えることを決定し、全国に指示した。民放労連としては、放送法一条に定めるように、放送会社は「放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」義務があるのに、足許に、差別雇傭を温存し、法律違反を是認していることは、放送会社のあり方として許されない重大な問題であるとの認識のもとに、右の方針を決定したのであった。

他方、同じ頃国会における参議院の社会労働委員会では沓脱議員(共産党)が放送下請労働者の職安法四四条違反問題をとりあげ、そのことが民放労連の機関紙のトップに掲載されて報道された。

(5) 第三八回大会の決定(昭和四九年)

そして、昭和四九年開催の民放労連の第三八回定期大会では、申請人らをはじめとする全国各民間放送局の下請労働者の差別雇傭反対、社員化闘争を行なうこと、その全国的な経験交流と対策は翌年早々に会議を開いて検討することを決定した。

(6) 民放労連差別雇傭対策会議(昭和五〇年二月)

明けて昭和五〇年二月、民放労連は前年の第三八回大会をうけて、差別雇傭問題についての全国的な対策会議を開き、過去の運動の総括と爾後の闘争の展望について協議した。そこでは、差別を受けている労働者の決意と闘いを機軸に、社員化要求を現場からつきあげ、該当地区では民放労連の統一闘争として発展させること、労働基準監督署や職業安定所等の行政指導を活用し、国会や地方自治体の議会を活用することなどが確認された。

2 STS労組の支援と製帳社労組の結成

《証拠省略》によれば以下の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

(一) STS労組の存在

被申請人会社に採用されて働く労働者は、昭和四六年一一月「サガテレビ労働組合」(以下便宜「STS労組」という。)を結成し、その後民放労連に加盟した。

(二) STS労組の教宣活動

STS労組執行部としては、昭和四八年から、申請人らが被申請人会社社屋内で本件業務に従事しながらも低賃金の上に過重労働にあるという認識から、この差別雇傭を撤廃させるには申請人らが組合を結成する必要があるということを申請人らに教宣し、学習会活動を組織してきた。

(三) 申請人らの当初の動き

折から、申請人らの間でも昭和四八年頃から、同じ社屋内で仕事をしているのに、前記のとおり申請人らと被申請人会社社員との間で、賃金や賞与について大きな格差があることに不満がでるようになった。こうして、自分達の要求をまとめて出すには組合を作った方がよいのではないか、という考えが表面化するようになった。

(四) 製帳社労組結成の胎動

(1) 昭和四八年七月以降の申請人らの動き

右の動きにもかかわらず、女性ばかりの申請人らには組合活動の経験者もおらず、組合結成は容易でなかった。しかし、昭和四八年七月に入ると、申請人らは、連帯して山崎巖に対し頻繁にいわゆる団体交渉とも称すべき協議を求め、賃金やボーナスの増加を要求しはじめ、その交渉経過を逐一議事録にとどめておくようになり、他方STS労組も申請人らの要求を支持し、STS労組発行の教宣ビラにも交渉経過を掲載し、或いは申請人らの諸要求を掲げて支持する等、共同闘争の色あいを濃くしていき、申請人らも山崎巖に対する闘い方につき、STS労組執行部に教えを請い、また、協議する等して、申請人らとSTS労組執行部とは緊密な連携を保ちながら昭和四八年の年末闘争時期及び昭和四九年の春闘時期を迎えた。

(2) 昭和四八年年末闘争

申請人ら(但し、馬場悦子を除く、この項及び次項(3)では以下同じ。)は、昭和四八年一一月一日山崎巖に対し、初めて文章化した年末賞与(基本給の三倍プラス一律一万五〇〇〇円)の増額と年末年始の休日手当及び代休に関する「要求書」を提出して待遇改善運動に乗り出し、これを契機に申請人らと山崎巖の間で数回にわたる要求書及び回答書のやりとり、その間の頻繁な電話での応対を繰り返し、同年の年末まで間断ない折衝が続けられた。この間山崎巖は川崎初男他一名の男性を同道する等して交渉に臨んだりもした。

(3) 昭和四九年春闘(三・四春季要求)

昭和四九年三月四日申請人らは製帳社宛要求書(以下便宜「三・四春季要求」という。)で昇給(基本給の一律二万円アップ他)、勤務時間の短縮(従前の九時半より一八時までを、九時半より一七時半までとする。)及び完全週休二日制(従前は隔週土休)その他の要求項目をつきつけ、これをめぐって申請人らは山崎巖との間で話しあいを求めたものの、同人からは協議の場さえ拒否された。そして、やっと持たれた四月一六日申請人らの作業場所であるタイプ室での話合いの席で、山崎巖は申請人らの要求書への回答は、被申請人会社の抱える諸問題解決までは出せないと述べ、回答を迫る申請人らに対しては、名指しで一六時一五分から職場復帰を命じる業務命令書を出し、加えて職場復帰に遅れた者は時間外労働をすること、但し時間外賃金は支払えない、拒否者は解雇することもありうる、との言を残し退席した。

この経過をSTS労組執行部に相談した結果、申請人らは、当時の組合未結成の段階では右業務命令に従うことも止むをえないとの判断の下に、それに従った。

(五) 製帳社労組の結成(昭和四九年四月一八日)

(1) 結成

前述のような経過を経て、昭和四九年四月一六日の業務命令書事件を総括した申請人らは、組合結成の準備状況をふまえ、申請人らによる組合結成とその公表は早いにこしたことはないとの結論に達し、同月一八日組合を結成し、結成宣言をビラで配布して公表した。翌一九日には申請人馬場悦子も組合に加入し、ここに被申請人会社社屋内で働く製帳社の従業員全員九名(申請人らの他小池富子、蘭節子)加盟の労働組合が出来、このことは直ちに山崎巖に通知された。同組合は同月二七日民放労連に加盟し、正式名称を「民放労連サガテレビ佐賀製帳社労働組合」といった(以下、便宜「製帳社労組」という。)

(2) 結成・決起集会

製帳社労組は結成翌日の四月一九日一七時三〇分から被申請人会社社屋玄関前で結成集会を開催し、併せてスト権を一〇〇%で確立して決起集会もとり行い、STS労組等の激励を受けた。

3 被申請人会社の対応

《証拠省略》によれば以下の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

(一) 申請人らの社員化要求(昭和四九年春以降)

製帳社労組が発足する前後の昭和四九年春頃から、本件業務に従事する申請人らは実質的には被申請人会社社員と同じではないか、被申請人会社のしていることは職安法四四条(労働者供給事業の禁止)違反に加担しているというような理由で社員化要求の話がSTS労組から被申請人会社との団交の場で持ち出されるようになった。そして、製帳社労組の結成後、その要求は益々強くなってきた。

(二) 被申請人会社の山崎巖に対する要求

(1) 窓口責任者問題(昭和四九年四月以降)

被申請人会社は、本件業務に関する仕事の受け渡しをする被申請人会社側の窓口を国崎課長がするから、製帳社側もそれに対応する窓口責任者を置いてくれないかと山崎巖に要求したところ、昭和四九年四月には石橋春志が、六月からは新川敏男が、九月からは川崎初男が製帳社から右責任者として被申請人会社社屋内に派遣されることになった。(詳細は後述する。)

(2) 放送進行表ゼロックス化問題(昭和四九年五月)

被申請人会社では経費節減の名目で、昭和四九年五月頃放送進行表をゼロックス化することとし、従来のタイピストの申請人らによるタイプ印刷を中止したい旨山崎巖に通知した。(詳細は後述する。)

(3) 機械賃貸化問題(昭和四九年六月)

被申請人会社では、同年六月頃、従来無料で使用させていた四種業務用の各種機械を爾後有料化したいとの話を山崎巖にもちだした。これは、当時被申請人会社総務部次長姫野毅(以下「姫野次長」という。)と山崎巖との間で交渉継続中の昭和四九年の本件業務委託契約の料金改訂がらみで被申請人会社からだされた考えであった。

(4) 消耗品の有償化(昭和四九年一〇月)

姫野次長は昭和四九年一〇月、申請人らの行う写植関係の仕事に必要な一切の消耗品(テロップ、現像液)など、従前無償で提供していたものを有償で製帳社に購入してもらいたい旨、山崎巖に要請した。

(三) 業務委託契約の改訂(昭和四九年一一月)

(1) 昭和四七、四八年の改訂

本件業務に関する契約金の改訂は、山崎巖と姫野次長との間で毎年春頃から交渉が煮詰められてきていた。

昭和四七年には、製帳社と被申請人会社間の昭和四六年業務委託契約書の七条一項に規定された四種業務の月額委託料二五万円が三〇万円に増額され、昭和四八年には同条二項に規定された印刷物の原紙一枚当りの単価を増額して、契約の更新がなされてきた。

(2) 昭和四九年の全面改訂

昭和四九年の契約改訂交渉も、同年春頃から山崎巖と姫野次長との間で交渉が重ねられたが、従前と違い、交渉期間が長びき、交渉がまとまったのは一一月終りであった。この時は、被申請人会社は、昭和四六年の契約書が、職安法四四条(労働者供給事業の禁止)違反の誤解を受け、得策でないとの判断から、条文を精査検討し、新たに契約書を作り変えることにした。こうして昭和四九年一一月二九日、製帳社と被申請人会社間で左記の内容の業務委託契約書(疎乙第四号証、以下「昭和四九年契約書」という。)が出来上った。

「被申請人会社(以下「甲」という。)と製帳社(以下「乙」という。)とは甲のテレビジョン放送番組編成ならびに放送用日刊印刷物の印刷業務に関し、次のとおり契約を締結する。

第一条 甲は乙に甲のテレビジョン放送番組編成ならびに放送用日刊印刷物の印刷に関する業務(第三条)を委託し乙はこれを受託した。

第二条 甲は乙の業務遂行のために必要な作業場を乙に提供し、乙はその借用料として家賃月額二万円(水道光熱費を含む)を甲に支払う。

第三条 委託業務の種類は下記のとおりとする。

1 放送番組編成業務(以下五種業務とする)

(1) スポットCMのフィルムスプライスおよびプレビュー

(2) 放送確認書の記入

(3) 写真植字機によるニューステロップの作製

(4) 自動番組制御装置用パンチテープの作製

(5) 放送進行表の複写作業(リコーPPC使用)

2 印刷業務

(1) テレビプログラムの印刷

第四条 印刷業務に要する機器は乙が設置する。

第五条 乙は業務の遂行にあたり常時責任者をおき、作業の受付、従業員の指揮監督にあたるものとする。

第六条 本契約による委託料をつぎのとおりとする。

1 五種業務月額 五〇万円

2 印刷業務については基本単価に基き出来高に応じて支払う。

テレビプログラム原紙一枚につき日刊プロ九〇〇円、進行表八〇〇円

第七条 甲は前記委託料を、当月分を翌月末日に支払う。

第八条 乙は甲の構内において使用する従業員に対して、労働基準法、労働安全衛生法、労働災害補償保険法、労働組合法等使用者としての全責任を負担していることを確認する。

第九条 甲または乙は、相手方がこの契約に違反した場合その是正を催告し、相手方がこれに応じなかった場合はこの契約を解除し損害賠償を請求することができる。また乙はその従業員が行う業務上の過失についてすべての責任を負い甲の施設を破損または紛失したときはその損害を賠償する。但し甲が止むを得ないと認めた場合はこの限りでない。

第一〇条 この契約の内容が実情にそわなくなったときには契約期間中でも甲乙協議のうえ変更することができる。また疑義を生じた場合は信義誠実の原則に従って互いに協議のうえ処置する。

第一一条 この契約の期間は昭和四九年四月一日より昭和五〇年三月三一日迄とする。

ただし双方共三ヶ月の予告期間をもって本契約を解約することができる。なお期間満了までに双方とも意思表示をしないときは自動的に一ヶ年延長するものとし、その後もこの例にならう。」

六  本件紛争の遠因―その二(製帳社労組側の闘争とそれをめぐる情勢)

《証拠省略》によれば以下の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

1 製帳社労組の昭和四九年春闘の妥結

(一) 石橋春志の一日限りの登場(昭和四九年四月二二日)

製帳社労組の要求により、四月二二日被申請人会社社屋内一階タイプ室で組合結成後初めての山崎巖との団交が開催された。この時同人は石橋春志という人物を連れてきて、以後石橋春志を山崎巖の補佐として被申請人会社に出社してもらい、本件業務の仕事をしてもらう旨紹介したので、申請人らの強い反発を招いた。その結果、石橋春志は翌日から姿を見せることがなかった。

(二) 春闘の妥結(昭和四九年六月五日)

第一回の団交後、製帳社労組と山崎巖は、申請人らが同年三月四日提出していた前記三・四春季要求問題が未解決であったので、その解決を求めて頻繁な団交等が繰返された。以下はそのあらましである。《省略》

2 STS労組の支援

STS労組は、被申請人会社との間で春闘の最中であったが、併せて製帳社労組の闘争をも支援し、組合ビラで製帳社労組の闘争を報道して、共闘ストライキをほのめかし(五月四日)、被申請人会社に対し製帳社労組への攻撃をしないよう団交で要求し(五月七日)、五月一一日の放送進行表のゼロックス化によるタイピスト削減問題については被申請人会社にその撤回を求め(五月一二日)、右ゼロックス化問題の本質につき、被申請人会社の合理化という形での製帳社労組つぶしであり、自らの職安法違反の事実をいんぺいしようとするものとのキャンペーンをはり、この問題を被申請人会社との団交にとりあげ(五月一七日、二四日)、民放労連の福岡における職安法に関する特別会議にSTS労組の副委員長を出席させ(五月二六日)、ついには製帳社労組との共同で、「被申請人会社と製帳社は製帳社労組の結成を嫌い、被申請人会社の下請労働者である製帳社労組員九名の職場を奪おうと画策している」ことを訴える街頭ビラの配布、活動にのりだし(五月二九日)、緊密な連携と支援態勢をとりつづけた。

3 製帳社による新川敏男の派遣(昭和四九年六月七日)

製帳社労組との春闘妥結の交渉の過程で、山崎巖が示唆していたとおり、六月七日から新川敏男が製帳社の総務課長という肩書で被申請人会社に出勤してきはじめた。山崎巖は、新川敏男を本件業務の製帳社側窓口の責任者とすることを申請人らに告げ、六月一九日には確認書作成者の隣に机と椅子を備え、それが被申請人会社の姫野次長の了解の下であることを告げた。

4 製帳社労組の昭和四九年夏季闘争とそれをめぐる情勢

(一) 五・三一夏季要求

製帳社労組は昭和四九年春闘妥結前の同年五月三〇日の臨時大会で、製帳社に対する夏季要求をまとめ、翌三一日要求書にまとめて製帳社宛提出した(以下、便宜「五・三一夏季要求」という。)。それは夏季一時金を新基本給の七倍プラス一律二〇万円の支給と、夏季休暇を連続一〇日間設けることを主内容にしていた。

(二) 製帳社労組と山崎巖との交渉経過《省略》

(三) STS労組の支援

STS労組は、製帳社労組との合同闘争委員会を設けて製帳社労組の闘争を全面的に支援し続けることにし、製帳社労組の身分は被申請人会社により保障さるべきであり、職業安定所や労働基準監督署との相談、連絡を密化し、製帳社による新川敏男の被申請人会社社屋内への派遣は労働基準法(以下「労基法」という。)六条にいう中間搾取の禁止及び職安法にいう労働者供給事業の禁止にふれる行為を脱法偽装しようとするものであり、四種業務用各種機械の使用の有料化も右職安法違反の脱法偽装化に外ならないし、これらは被申請人会社と製帳社の共同謀議によるものであるとのキャンペーンをくり広げはじめ(六月七日)、六月一二日の職場集会では製帳社労組員の身分を被申請人会社の社員とすること(以下便宜「社員化要求」という。)を主テーマの一つにし、製帳社労組と山崎巖との五・三一夏季要求に関する交渉経過も逐一機関紙で報道して組合員に知らせ、製帳社労組の夏季一時金も一〇万円の回答をひきだすまでは共同闘争をしていくこと(七月二日の山崎巖の第二次回答では平均七万二一一二円になるらしい。)を決定し(七月四日)、山崎巖の七月一五日の被申請人会社の下請辞退発言を契機に、申請人らの社員化要求を掲げ、そのためにも被申請人会社内に報道部の新設を要求する方針を掲げ(七月一七日)た。そして、昭和四九年七月二三日開催のSTS労組定期大会では、製帳社労組との将来の方向を見きわめた上での共闘を深めていくことを昭和四九年度の闘争課題の一つに据え、放送進行表のゼロックス化問題については、製帳社労組とSTS労組の闘争により被申請人会社に撤回はさせたものの、製帳社労組員の社員化闘争が不十分であったことから、社員化闘争を一段と強化することを今後の課題とすることを総括した。

5 新川敏男の辞職(昭和四九年八月)と川崎初男の派遣(同年九月)

製帳社労組及びSTS労組から激しい非難と抗議を受け続けた新川敏男は、就任後二か月余後の昭和四九年八月中旬頃に辞職し、被申請人会社社屋内から姿を消した。

しかし、山崎巖は、新川の辞職後しばらくして、今度は川崎初男を申請人らの監督をする者として採用し、昭和四九年九月以降の、後述する製帳社労組との団交にあたっては常に同伴することになった。

6 製帳社労組の昭和四九年秋季闘争とそれをめぐる情勢

(一) 九・二〇秋季要求

製帳社労組は昭和四九年九月一七日、一八日の両日開催した臨時大会で、製帳社に対する秋季要求をまとめ、同月二〇日これを記載した要求書を製帳社宛提出した(以下、便宜「九・二〇秋季要求」という。)。それは、インフレ手当として基本給の二か月分の支給、交通費全額の支給等を主内容とするものであった。インフレ手当はSTS労組の被申請人会社に対する要求と歩調をあわせたものであった。

(二) 製帳社労組と山崎巖との交渉経過《省略》

7 製帳社労組の昭和四九年冬季闘争とそれをめぐる情勢

(一) 一一・一冬季要求

製帳社労組は、昭和四九年一〇月三一日臨時大会を開催し、製帳社に対する冬季要求をまとめ、翌一一月一日その要求書を製帳社宛提出した(以下、便宜「一一・一冬季要求」という。)。それは冬季一時金の基本給の七倍プラス一律二〇万円の支給、年末年始休日を一二月二八日から一月五日までとすること、年末年始特別手当一日七〇〇〇円、完全週休二日制の早期実現、事故で休職中の申請人船津京子(タイピスト)の復職を保障すること、申請人馬場悦子(タイピスト)の病気休暇を有給とすること、タイプ経験者二名(勤務場所は被申請人会社社屋内タイプ室)を至急補充すること等を主内容としていた。

(二) 製帳社労組と山崎巖との交渉経過《省略》

8 製帳社労組員に対する製帳社の警告書

製帳社は昭和五〇年一月一六日から一八日にかけて以下のとおり警告書を発した。《省略》

9 製帳社労組の昭和五〇年春季闘争とそれをめぐる情勢

(一) 三・三春季要求

製帳社労組は、昭和五〇年二月二八日臨時大会を開催し、製帳社に対する春季要求をまとめ、三月三日付要求書でそれを製帳社宛提示した(以下、便宜「三・三春季要求」という。)。それによると、昇給は五万円、それに年令から一八才を差引いた数字に七六〇〇円を乗じて得た額を上積みすること、交通費の全額負担、退職金を一〇年勤務者で五〇〇万円、二五年勤務者で二〇〇〇万円に改訂せよ、等ということを主内容としていた。

(二) 製帳社労組と山崎巖との交渉経過《省略》

七  本件紛争の発生

《証拠省略》によると以下の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

1 申請人らに対する製帳社の解雇通告

(一) 本件業務委託契約の合意解除(昭和五〇年六月五日)

山崎巖は、製帳社労組の昭和五〇年三・三春季要求に関する長期間にわたる団交の過程で、本件業務に関する経営意欲を次第に喪失していった。もともと、申請人らの賃金をはじめとする労働条件は、すべて本件業務委託契約に規制されていたのであり、他方下からは、右契約の内容を知らない申請人らから昭和四九年四月の組合結成以来、春・夏・秋・冬と間断なく提出される要求をめぐる団交、殊に昭和五〇年春闘の際の数多く繰り返されたスト、指名ストもしくは残業拒否によって、山崎巖は川崎と共に、本件業務委託契約の遂行に当らざるをえない上に、平常でも申請人らの就業状況が怠業(サボタージュ)と受けとられることが多く、本件業務の迅速な遂行を促しても非協力の態度をとられることを経験するにつれ、心身ともに疲労し、ついに昭和五〇年六月一日本件業務から手をひくことを決意したのである。この決意は翌二日製帳社労組員に申し渡された。

山崎巖は六月三日本件業務委託契約を同月五日付で解除したい旨の申入れ書を被申請人会社に提出した。被申請人会社では山崎巖の決意が固いとみてとり、右解除申入を承諾することにした。こうして、約四年余続いた製帳社と被申請人会社間の本件業務委託契約は、六月五日をもって合意解除され、終了するに至った。

(二) 解雇通告(昭和五〇年六月五日)

製帳社は、昭和五〇年六月五日付内容証明郵便をもって申請人らに対し事業場閉鎖を理由に申請人らを解雇する旨通知し、同日申請人らに解雇予告手当を支給し、更には製帳社所有のタイプ印刷業務に必要な機材一切を、第三者を雇って被申請人会社社屋から持ち去った。そして、製帳社では同年七月二八日に退職金を支払い、失業保険金受領に必要な離職証明書を申請人らに交付した。なお、申請人らは山崎巖に対し、右解雇予告手当及び退職金をいずれも賃金の一部として受領する旨後日通知した。

2 申請人らの身分と職場をめぐる折衝

(一) 被申請人会社とSTS労組を加えた折衝

事態を重くみたSTS労組は、放送業務の遂行をどう行なうかということと、製帳社労組員の身分を保障する見地から被申請人会社との間で折衝を開始した。六月五日夜から六日早朝にかけて行われた協議では、製帳社労組員の身分を社員化するなどして身分を保障せよ、と主張するSTS労組側と、製帳社労組員の問題は被申請人会社とは関係ない他企業内の問題であって、右の保障は出来ない、とつっぱねる被申請人会社側でなかなか話がまとまらなかった。最終的には、本件業務を遂行する新経営者を捜すことで合意を見、その条件として「①形態としては、今までの経営者の交代である。②原則として現行従業員八名を継続雇用させるよう要請する。③契約が成立し、新会社が発足するまで旧製帳社社員は就労しないが、発足までの収入は適正な補償を行なう。」という三点で一応了解しあったが、就業場所については従来どおり被申請人会社社屋内を主張するSTS労組側と、新経営者と被申請人会社との話しあい次第では社屋外もありうるとする被申請人会社側とで意見の一致がみられなかった。

(二) 新経営者大島勲の登場

右合意に基づき、STS労組が推選した印刷業関係者の橋田雅夫につき被申請人会社は本件業務の経営を相談したが、同人から断られるに至った。その後の検討の結果でも印刷業関係者には適当な人物が見当らず、結局、被申請人会社は、新しい経営者は必ずしも印刷業等の経験がなくとも管理能力があればよいと判断し、当時被申請人会社常務取締役であった池田進の知合いで、かねてから適当な就職先を捜していた申請外大島勲に本件委託業務を引継いでもらえないかどうか打診することになった。大島勲は山崎巖や姫野次長や池田進と会合を重ねるなかで、これを引き受け、被申請人会社社屋外で遂行する旨決意した。そこで被申請人会社は申請人らに大島勲を紹介し、申請人らと大島勲との間で同月一三日、一六日及び一八日と交渉が重ねられたが、被申請人会社及び大島勲間では本件委託業務を被申請人会社社屋外で遂行することに合意決定しており、この点申請人らは勤務場所を被申請人会社構内にするよう要求して譲らず、結局勤務場所の問題で話し合いが決裂した。そして、同月一八日には被申請人会社と大島勲との間で、本件委託業務に関し、「業務ならびに製造委託契約書」を作成し、翌一九日に申請人らと大島勲との間で四回目の話し合いがもたれたものの、結局、勤務場所の問題で折合いがつかず、大島勲は申請人らとの折衝により申請人らの就業場所の主張を譲歩させ得ないと判断し、申請人らとの折衝を打切ることを通告した。

(三) 被申請人会社の無関係社告(昭和五〇年六月二〇日)

かくして被申請人会社は、同月二〇日、「旧佐賀製帳社社員八名の去就が宙に浮いたとしても会社としては何ら関知せず、今後会社に無関係の問題として処置いたします。」との社告を出し、申請人らの社員化要求及びその就労を拒否した。

(四) 有限会社佐賀ビジネスによる本件業務の開始

大島勲は、六月二三日新聞広告を出して女子従業員を募集し、二四日には被申請人会社の連帯保証のもとに被申請人会社社屋外のビルの一室を賃借し、二五日には応募者の面接をすませて人員を採用し、七月一日に自らを取締役として有限会社佐賀ビジネス印刷を設立し、翌二日より本件業務の遂行を開始した。

(五) 申請人らの対応

昭和五〇年六月五日の製帳社による申請人らの解雇通知、それに引続く六月二〇日出された被申請人会社の無関係社告とその後の大島勲の本件業務に対する取り組みに直面した申請人らとSTS労組は、これが被申請人会社の合理化政策と組合(製帳社労組)つぶしに問題の本質があるととらえ、申請人らとSTS労組はもとより、その上部団体である民放労連の九州地連及び民放労連本部の支援を得て、申請人らの身分の確保を要求し、被申請人会社社屋の内外で、連日の激しい抗議行動を続けたが、被申請人会社の受け入れるところとはならなかった。

(六) 本件仮処分申請事件の提起

右のような経過を経て、申請人らは昭和五〇年九月八日本件仮処分申請事件を当庁宛提起したのである。(このことは、本件記録により明らかである。)

第二当裁判所の判断

一  問題の所在

使用者と労働者の間に個別的な労働契約が存するというためには、それが契約である以上「意思の合致」が必要であることは勿論である。そこで、第一に明示された契約の形式が明らかにされなければならない。しかし、意思の合致には、明示の場合と黙示の場合とあり、また、労働契約の本質もしくは内容も両者間の使用従属関係の有無、換言すれば、当該使用者が当該労働者を指揮、命令し、監督することにあると解せられるので、第二に単に明示された契約の形式にのみよることなく、当該労務供給形態の具体的な実態を具に検討することにより、両者間に事実上の使用従属関係があるかどうか、或いはその程度などを併せ検討することも不可欠である。本件では申請人らと被申請人会社間の労働契約上の黙示の意思の合致の有無が最大の課題であるので、この点を最後に検討することになる。

ところで、申請人らは製帳社の昭和五〇年六月五日付解雇通知とそれに続く被申請人会社の同月二〇日付無関係社告を契機に、それまで従事してきた就業場所を追われ、就業の機会を失ったこと前記認定のとおりであり、本件申請も、申請人らが被申請人会社の従業員たる地位にあることだけの判断を求めているのであるから、昭和五〇年六月(一日)の時点で、申請人と被申請人間に労働契約が存在していたかどうかを検討することで必要かつ、十分であり、その契約の始期までも詮索することは必ずしも必要ではない。というのは、労働契約のような継続的契約において、黙示の意思表示の合致による契約の成否が問題になるのは、ある程度の時間的経過を経た事実の重みを不可欠の要素とするのであり、当事者の意思(客観的に推認される意思表示)も、同様にある程度の時間的経過をふまえた事実への関与度合から逆に推測する操作を不可欠とするのであるから、右契約の始期そのものが何時かは、特に重要な問題ではなく、係争法律関係を解明するのに必要な時点での黙示の意思表示の合致の存否を論じれば良いからに他ならず、本件では、その時期が昭和五〇年六月(便宜上、六月一日に特定してもよい。)と設定されるだけで、必要、かつ、十分であるからである。

二  明示された三者の法形式

法形式上、申請人らが製帳社に雇傭されていたこと、製帳社が被申請人会社と本件業務に関する委託契約を締結していたこと、この契約の履行として、製帳社が申請人らを被申請人会社に派遣していたことは、当事者間に争いがない。

そこで、次に、申請人らと製帳社及び被申請人会社間の使用従属関係の有無・程度について検討する。

三  被申請人会社及び製帳社と申請人らの使用従属の有無及び程度

前記第一の二及び四認定の事実、殊に、申請人らの作業場所が、昭和四六年契約書及び昭和四九年契約書に明規のとおり、被申請人会社の提供する場所、即ち被申請人会社社屋内にあって被申請人会社社員の勤務場所と一体をなし、しかも東筑印刷(株)時代からいえば、被申請人会社の必要と都合により、二回ないし四回の変遷を余儀なくされていたこと、この点につき製帳社側には、何の権限もなかったというよりも、本件業務の内容それ自体からも、自らの権限で作業場所を特定する必要も実益も皆無であったこと、そして、東筑印刷(株)時代から製帳社が手をひくまでの約六年有余を通じて、作業場の賃料が二万円に一定していたこと、申請人ら担当の本件業務が、被申請人会社のテレビ放送の放送準備から放送終了までの連続的な流れの中に有機的に組み込まれており、そのどれか一つでも欠ければ、放送全体が満足に実施できない状況にあったこと、従ってまた、時間的余裕がないとき、職種によっては申請人らの仕事を被申請人会社社員が手伝うこともあり、申請人らの業務遂行過程のミスが、放送実施の段階で表面化したとき、被申請人会社の担当社員から直接申請人らに注意することもあったこと、更に、日常的に、申請人らが被申請人会社の担当社員から本件業務遂行に必要な指示をうけ、原稿や資料の直接的な受け渡しがなされていたこと、また、本件業務に関係ない雑印刷一般も、日常、被申請人会社の各部課から申請人らに直接依頼され、申請人らもそれを当然のこととしていたこと、日刊プロに関してもタイプ印刷のみならず、宛名書き、切手貼り、時には発送業務といった契約外の仕事まで被申請人会社から要求され、申請人らも当然のこととしていたこと、他方、申請人らが紺屋町の製帳社本来の印刷業務に全然関与しておらず、本件業務遂行に必要な指示、原稿や資料の直接的な受け渡しが製帳社側の人物を介してなされたこともなければ、製帳社として申請人らを監督する職制(管理職)をおいたこともなかったこと(秋山玲子が右職制にあたるかどうかは疑問であり、申請人安岡すま子がこれに当るとは到底解しえない。昭和四九年四月以降製帳社が、それらしき人物を配置したことはあるが、これが職安法四四条潜脱の一方策にすぎなかったことは後述する。)、タイプ印刷業務に必要な機械類は製帳社所有のものであったが、四種業務に必要な機械・消耗品類がすべて被申請人会社の所有し、提供するものでまかなわれていたこと、しかも右機械の修理はすべて被申請人会社社員がやり、手に負えないものは被申請人会社の負担で修理業者に修理依頼をしていたこと、申請人らの勤務時間・休憩時間・休日の定めにつき、被申請人会社が直接規律することなく、製帳社の判断で規律されていたのではあるが、これとて、申請人らの仕事内容が被申請人会社のそれと密接不可分に関連していることから、被申請人会社のそれらに対応して確定し、変更されてきたこと(但し、昼休み時間の件を除く。)、一方紺屋町の製帳社の従業員の勤務時間、休憩時間、休日の定め方は、申請人らのそれらの決め方とは全く無脈絡であったこと、また、被申請人会社の担当社員から指示された仕事の多忙さに応じて、申請人らが残業を余儀なくされたこともあるだけでなく、被申請人会社から写植担当の申請人らが昼休み時間中も待機することを命じられ、時には仕事をも命じられていたこと、申請人らの賃金は、山崎巖より申請人らに手渡されていたのであるが、これは勿論、申請人らの被申請人会社から指示される本件業務に従事した労働の対価たる性質を有するものであって、その賃金が、被申請人会社と製帳社間の業務委託契約の委託料に拘束されていたことも、前記認定の諸事実(例えば、製帳社労組と山崎巖の団交の際の同人の発言を参照のこと。)より推認できること、従って、製帳社が本件業務より取得できる利潤というものも、本件業務の仕事の成果次第で増減できるといったものではなく、年間を定めて決定されている総額の中から申請人らの賃金総額を除いたものに他ならず、これらを言い換えれば、申請人らの賃金は被申請人会社により間接的に決定され、製帳社の利潤自体申請人らの本来の賃金部分に相当するという見方さえ過言ではないこと、本件業務と紺屋町の製帳社とを対比した場合、前者に関する限り製帳社に企業としての独立性を肯認することが困難であること等を総合考慮すると、申請人らは、採用と賃金の面で形の上では製帳社の意の範囲内にあったとはいえ、それらを除く労働実態の面では製帳社の指揮・命令を離れ、むしろ全面的に被申請人会社の指揮・命令下にあったものと評価することができ、しかも、右採用、賃金の面においても、後に要約するように、大枠で被申請人会社の意思による制約内にあったのであるから、以上によれば、申請人らは被申請人会社に組織的、人格的、経済的に緊密に従属し、被申請人会社の指揮、命令、監督の下に被申請人会社に対して労務を提供し、被申請人会社がこれを受領していたといわなければならず、申請人らと被申請人会社との間には実質的な使用従属関係が存在していたということができる。

勿論、申請人らの製帳社への従属関係も存するのではあるが、製帳社決定の採用については、被申請人会社内における本件業務に必要な人員に規制され、紺屋町の製帳社と一切無関係であることや、賃金にしても、団交過程での山崎巖の発言からも推認できるように、本件業務の委託料に大枠を規制されていたこと、等の事実から看取れるとおり、本件業務の労働実態に関する申請人らの製帳社への従属の程度は、前記詳述した被申請人会社に対する従属の程度と比較しうべくもない程、はるかに微々たるものである。(この点、東筑印刷(株)の時代は、特に当初の頃本件業務の具体的な技術指導まで含めて荒牧孝介が実施しており、従業員に対する指揮、命令、監督は山崎巖に比較すると、まだ強いものがあった。しかし、秋山玲子を責任者に指定した頃から、それが次第に弱化していくことは前記認定の経緯により推認できるのであるが、この点は、これ以上触れる必要がない。)

以上要するに、被申請人会社及び製帳社と申請人らの使用従属関係については、本件業務における製帳社即ち山崎巖を、被申請人会社の管理職の一人に位置づける方が、その実態を正しく表現しえている程であり、換言すれば、申請人らは、外観的に被申請人会社の社員と見られ、また、事実的にも製帳社の指揮・命令、監督下にあった以上に、はるかに被申請人会社の指揮・命令、監督下にあったと評価せざるを得ず、従って、申請人らと被申請人会社との間にこそ労働契約の本質もしくは内容がより具備されていたことになる。(この点は次の四の3でも、別の観点から考察する。)なお、製帳社が申請人らと個別の労働契約を締結していたことは前記のとおりであるが、この契約は、後で詳しく説明する労働者供給事業の禁止(職安法四四条)と中間搾取(労働基準法六条)を潜脱するためになされた疑いが濃厚であって、申請人らより労務の提供を受け、その対価として賃金を支払うという労働契約の実体はほとんど存在しなかったということができる。

そこで、最後の論点である申請人ら被申請人会社間の労働契約成立の有無、本件ではその黙示の意思表示の合致の有無の検討に移る。

四  申請人らと被申請人会社間に、労働契約締結の黙示の意思表示の合致があったか。

1 はじめに

黙示の意思表示の合致があったか否かを本件で論じることは、法形式上申請人らと被申請人会社間に何ら明示の労働契約が存在しないのにもかかわらず、事実上申請人らは被申請人会社から指揮・命令を受け、その監督の下に労働していたと評価されていたのであり、両者の総体的な関係からみて、両者間に労働契約が存在するものと解釈することが憲法を頂点とする全法律体系からみて妥当かどうか、という価値判断を内包するものである。従って、本件においては憲法を頂点とする全法律体系において伝統的な意思表示理論をどう考えるか、申請人らの主張する職安法四四条違反及び不当労働行為の有無がどのように影響するのかが順次検討される必要がある。

2 依るべき意思表示理論

言うまでもなく憲法は国民の生存権的基本権を広範囲にわたって保障し、その中に勤労の権利(二七条)が規定されている。これらから読みとれる憲法の理念・精神は、私人どおしの法律関係を律するに際しても尊重され、指導理念とさるべきである。ところで、伝統的・古典的な契約理論即ち意思表示理論は自由・平等・独立の法主体たる私人どおしの交渉を前提にしているのに対し、現実の社会における労務を供給する契約の法主体たる私人どおしは、決して右のような前提関係にないことが圧倒的である。このように、使用者と労働者の力関係に差がある場合、そのことを無視することは相当でない。しかも、この力関係において優位にある使用者(側)に職安法四四条違反、不当労働行為的要素があるとした場合、使用者の有する社会的・道義的責任との関連で、労働者の生存権がより保障される方向で、逆にいえば、使用者の社会的・道義的責任が正しく追及され、不正が是正される方向で、伝統的な意思表示理論の修正が妥当とされる場合もありえよう。

本件についてこれをみれば、申請人らと被申請人会社の社会、経済的な力関係の差は歴然としており、製帳社と被申請人会社とのそれも然りである。

3 職安法四四条(労働者供給事業の禁止)違反の有無

(一) 本件業務委託契約と職業安定法

(1) 職安法施行規則四条一項関係の検討

製帳社は、本件委託業務の遂行過程における従業員の過失等に起因して発生した放送事故につき法的な責任を負うことはなく(職安法施行規則四条一項一号)、申請人らの採用、解雇、給与、勤務時間、休日等に関する身分上の指揮監督はしていたとはいえ、業務遂行過程において被申請人会社の担当社員の指示により、具体的な本件業務は遂行されていたのであり、秋山玲子が製帳社の管理職的立場にあったとはいえ、同女が本件業務に従事する従業員を実質的に指揮監督していたことを首肯せしめるに足る確たる疎明もなく、このことを仮に措いても、同女の退職(昭和四七年七月)以後は、製帳社側で従業員を実質的に指揮監督することもなく(同項二号)、労働基準法八九条によって使用者の法的義務とされている就業規則の作成及び労働基準監督署への届出の義務を懈怠し(同項三号)、本件委託業務遂行に必要な機器、資材の大半を委託主である被申請人会社から提供してもらっていたこと(同項四号前段)、また、申請人らのなす作業そのものが、個々の労働者の有する技能と経験をもって足りる代替性あるものであって、特殊の専門的・職人的な経験を業務遂行上不可欠とし、代替性のないものといえない(同号後段)ことはいずれも前記のとおりである。

これらを指摘するだけでも、製帳社(従って、これと大同小異にあった東筑印刷(株)も)が被申請人会社となした本件業務委託契約は、職安法施行規則四条一項の趣旨よりして、職安法四四条に牴触するものと解せざるをえない。このことは、前記認定の東筑印刷(株)より製帳社への本件業務の承継のされ方をみてもうなずけよう。この承継の仕方は、労働者供給業者の交替とみれば最も素直に肯認できるからである。

(2) 職安法施行規則四条二項関係の検討

被申請人会社及び山崎巖が製帳社労組の結成(昭和四九年四月一八日)前後頃から、同労組及びSTS労組より職安法四四条違反の追及を受けていたこと、更に、民放労連がそれ以前から差別雇傭の撤廃を求めて運動をくり広げ、とくに、昭和四九年五月以降組織をあげて職安法四四条違反摘発闘争に乗り出していたこと前記認定のとおりであり、これらのことは被申請人会社としても当然知っていた筈であるので、前に認定した本件の経緯を併せ考慮すると、被申請人会社が製帳社に対し、本件業務に関する製帳社側の窓口責任者を配置することを要求し、それに応じて山崎巖が昭和四九年四月に一日限りではあるが石橋春志を総務課長の肩書で被申請人会社社屋内に派遣配置したこと、同年六月七日から二か月余にわたって、今度は新川敏男を派遣配置したこと、同年九月から翌五〇年六月まで川崎初男を派遣配置したことは、いずれも、右法律違反の解消を直接の目的にしていたものと推認できるけれども、その前後を通じ申請人らの就業実態に本質的変化のなかったことも前記認定のとおりであるから、結局、申請人らを指揮監督するという名目をとりつくろい、その実質同法施行規則四条一項二号の潜脱をはかったことに終ったものと認めざるを得ない。

なお、《証拠省略》により認められる、もともと紺屋町を含めて就業規則の定めがなかった製帳社が、本件業務部門に関してのみ昭和四九年四月頃就業規則を作成し、昭和五〇年五月一日に労働基準監督署に届け出たことも、同様にその実質は同条項一号の潜脱をはかったものというべきであり、また、前記認定の四種業務用機械の賃貸化問題(昭和四九年六月)、写植関係消耗品の有料化問題(同年一〇月)も、被申請人会社が同条項四号前段の潜脱をはかったものというのが素直な見方であろう。

(3) 職安法四四条違反の法形式上の隠蔽工作

更に、昭和四九年一一月成文化の業務委託契約書についても、同様に職安法四四条違反の、法形式上の隠蔽工作であると推認しうるところである。即ち、昭和四九年契約書そのものが昭和四六年契約書の職安法上の疑義をなくす目的で改訂されたことは前記認定のとおりであり、両契約書を詳細に比較すると以下のとおりである。

イ 四九年契約書により削除された四六年契約書の条項のうちには次のような条項がある(甲は被申請人会社、乙は製帳社を意味する)。

一条二項 乙は前項の業務(本件委託業務)を、甲の構内に於て行うものとする。

四条 印刷業務に要する機器類の設備は乙自らの手によって行う。ただし、材料たる紙は甲が支給する。(但し削除されたのは本条但書のみ)

五条 乙は、四種業務のために甲が使用を許可した機器類ならびに第二条の貸与物件(作業場と電話機)を善良なる管理者の注意をもって管理し、消耗、き損した物件がでたときはもちろん、そのおそれがあるときは、事前に連絡をとり、業務に支障がないように努力しなければならない。

六条 乙は、業務の遂行にあたり、特につぎの事項を遵守、了知するとともに、その趣旨を従業員に周知徹底させなければならない。

(1) 乙は常に甲へのサービスの完全なる提供とその改善に努めるとともに、甲の事業の特殊性を認識し、甲の緊急の要請に対しては、直ちにこれに協力すること。

(2) 乙は甲の構内に勤務する乙の従業員についての保健、衛生ならびに風紀に留意し、清潔かつ明朗な態度で業務に従事させ、伝染病疾者、保菌者またはその疑いのある者を就労させないこと。

(3) 乙は火災・盗難の予防に万全を期するとともにこれに関する甲の指示に従うこと。

(4) 乙は、乙の従業員に異動があったときは、遅滞なくその氏名と経歴を甲に届出なければならない。

(5) 甲が不適当と認めた場合、乙の従業員を甲の構内から退去させ、あるいは立入らせないことがある。

九条 甲または乙は、相手方がこの契約に違反した場合、その是正を催告し、相手方がこれに応じなかったときは乙の契約を解除し、損害賠償を請求することができる。ただし、乙または乙の従業員の故意または過失により、放送業務に重大なる影響を及ぼしたときには、甲は即刻、この契約を解除することが出来る。(但し削除されたのは本条但書のみ)

ロ 四九年契約書で新設された条項のうちには次のような条項がある(甲は被申請人会社、乙は製帳社を意味する)。

五条 乙は業務の遂行にあたり常時責任者をおき、作業の受付、従業員の指揮監督にあたるものとする。

八条 乙は甲の構内において使用する従業員に対して、労働基準法、労働安全衛生法、労働災害補償保険法、労働組合法等使用者としての全責任を負担していることを確認する。

九条 甲または乙は、相手方がこの契約に違反した場合その是正を催告し、相手方がこれに応じなかった場合はこの契約を解除し損害賠償を請求することができる。また乙はその従業員が行なう業務上の過失についてすべての責任を負い甲の施設を破損または紛失したときはその損害を賠償する。但し甲が止むを得ないと認めた場合はこの限りでない。(但し新設されたのは本条後段及び但書のみ)

以上四九年契約書においては、四六年契約書中、被申請人会社内における従業員の労働を義務付けた条項、本件業務に必要な機器類、資材を被申請人会社が提供することを前提にした条項、製帳社が被申請人会社に対して従属的地位にあることを示す条項が削除され、製帳社が従業員を指揮監督する旨の条項、製帳社が従業員に対して使用者として法律に規定された義務を負っていることを確認する条項、製帳社が従業員の作業上の過失について責任を負う旨の条項がそれぞれ新設されていることが明らかである。

(二) 県職業安定課の改善指導

そして、《証拠省略》を総合すれば、昭和五〇年六月四日STS労組から佐賀県職業安定課に対し、被申請人会社に職業安定法違反の疑いがある旨の申告があり、同月一六日佐賀県職業安定課が被申請人会社に対し事情聴取を行った結果、同課は、製帳社が作業に従事する労働者を指揮監督しておらず、また自ら提供する機械、設備、器材若しくはその作業に必要な材料資材を使用しておらない点で同法に違反すると認め、被申請人会社に対し改善解消するよう説明指導をしたことが一応認められ、これに反する疎明はない。

(三) 一応のまとめ

以上の検討によれば、製帳社は職安法四四条にいう「労働者供給事業を行う者」に該当するといわなければならず、本件業務委託契約は、被申請人会社の指揮監督の下に本件業務を遂行する申請人ら労働者を製帳社が供給する「労働者供給契約」としての実質をも併せ有していたものと認めざるを得ない。

そこで本件業務委託契約の効力について考察する。職安法四四条が労働者供給事業を禁止しているのは、強制労働、中間搾取等の弊害を防止するためであるが、それは単に個々具体的に強制労働、中間搾取等を目的とする労働者供給事業を禁ずるばかりではなく、右のような弊害が伴いやすく、ひいては労働者の雇傭関係を不安定にする労働者供給事業を制度として禁ずることにより労働者を保護し、労働の民主化をはかることを目的としているものである。従って、本件における製帳社と被申請人会社間の業務委託契約の併せもつ労働者供給事業が職安法四四条の禁止しているものに該当することは明らかである。確かに、前記認定の通り、製帳社は自ら従業員を募集・面接して採用し、従業員を被保険者とする各種保険に事業主として加入の手続をとり、賃金を支給し、製帳社労組結成後は同労組との団体交渉の相手方となり、同労組の要求に対して回答し、製帳社の名をもって従業員を解雇して解雇予告手当、退職金の支給等の手続をしているけれども、本件解雇に至る経緯及び背景事情と、申請人ら従業員の就労の実態、製帳社が紺屋町で印刷業を営む独立した個人企業ではあるものの、本件業務委託契約に関しては独立した企業としての実体を備えていたとは言い難いこと、などからすると、本来被申請人会社の行うべき従業員募集、賃金支払、各種保険加入手続及び労務管理(団体交渉の相手方となること等)を製帳社が代行していたと評価することも可能というべきであり、結局、本件業務委託契約は職安法四四条を潜脱するための単なる法的な形式に過ぎず、同条の趣旨に鑑み公序良俗に反する契約であるといわなくてはならない。

4 不当労働行為の有無

前記第一の一で認定したように、被申請人会社は経費節減を含めた経営合理化方針の具体化の一つとして、本件業務の外注化をはかったものである。そして、申請人らのようないわゆる社外工が導入される理由に、企業側の雇用調整の安全弁的役割とともに、人件費節約、労働強化、組合対策等の面で企業側に多くの利益を提供することは周知のことである。従って、その反面として、労働者側(社外工は勿論、本工にとっても)に対して逆の意味での不利益をもたらすことも当然のことである。

本件における製帳社の従業員らが団結連帯して昭和四八年七月製帳社に労働条件の改善を求める運動をくり広げて以降、特に昭和四九年四月の製帳社労組の結成前後頃からの、同労組、STS労組、民放労連の闘争は、被申請人会社にとって次第に、本件社外工導入のメリットを減殺させることになったことは、前記認定の事実より容易に推認しうるところである。昭和四九年契約書においても、契約解除の予告期間が三か月と定められており、しかも本件業務そのものが被申請人会社の日々の放送事業と密接不可分に関連しあっていたにも拘らず、僅か二日間の予告で製帳社が手を引くことに被申請人会社が同意し、且つ、被申請人会社が製帳社宛予告義務違反に対する何らかの請求をしたことを認めるに足りる疎明も存しない。

右のような事情に加え、民放労連の方針と指導のもとに、各種経済要求を繰り返し、社員化要求まで掲げるようになった申請人らを、被申請人会社内で本件業務に従事させる環境を付与し続けることが、社外工導入の利点を没却し去る危険を犯すことに連なるとの認識が容易に引き出せること、従って、被申請人会社が大島勲に本件業務を引受けさせるに際し、本件業務の遂行場所を被申請人会社外とすることを製帳社撤退の段階で既に決意していたようにも推認しうること、昭和五〇年六月一三日からはじまった大島勲と申請人らの交渉が就業場所の問題で決定的に対立し、一九日の交渉決裂との報を受けた被申請人会社が翌二〇日、いわゆる無関係社告をだして、内外に申請人らと被申請人会社とが無関係であることを宣明したこと等を総合考慮すると、被申請人会社は、申請人らの労働組合(製帳社労組)の結成と、前記認定の民放労連、STS労組の支援をうけてくり広げられた組合活動の内容を嫌悪し、申請人らが労働する場を追われることに組したものと推認することもできなくはない。製帳社労組の活動が全面的に正当な行為であったかどうかは論評の限りでないが、これが民放労連の方針と指導の下になされた組合活動であったことは前記認定の事実より優に推認できるのであり、また民放労連の主張した下請社外工の職安法四四条違反の問題提起そのものは正鵠を射ていたものということができる。

以上のようにみてくると、本件紛争は企業側の論理と労働者側の論理がぶつかりあった深刻な問題を内包するものであるが、被申請人会社が昭和五〇年六月五日以降六月二〇日の無関係社告に至るまでとった措置は、不当労働行為といえるかどうかの断定はともかく、不当労働行為的行為という側面を否定しえないものである。

5 まとめ

(一) 被申請人会社の意思表示をどうみるか。

被申請人会社が本件業務を外注した事情から、昭和五〇年六月二〇日の申請人らとの無関係社告に至るまでの被申請人会社には、申請人らとの間に労働契約を締結するという意思は認められないどころか、それを否定する意思が貫徹していたということができる。

しかし、それは法形式上のものにすぎず、実態は申請人らとの間に使用従属関係が存在するもの、即ち労働契約が存在すると評価される方がより自然であり、しかも、右の法形式そのものが製帳社と被申請人会社間の業務委託契約を基本に据えていたところ、同契約は、前に検討したとおり職安法四四条に違反し、公序良俗に反するものであった。しかるところ、既述のとおり、職安法四四条は労働者を保護し、労働の民主化をはかる規定であるから、右無関係社告によって被申請人会社が違法な労働者供給事業への加担から身をひく結果になるとはいえ、それが同条の目指す労働者保護及び労働の民主化をはかることに全く逆行する結果をも招来することは容認すべからざる背理であって、その逆行する結果を回避すべき責任は労働者たる申請人らではなく、使用者たる被申請人会社で負担するのが相当であり、更に、被申請人会社の職責が「健全な民主主義の発達に資する」(放送法一条)ことにあることを考えるとき、右契約を盾に、申請人らの提供した労働を、申請人らとの労働契約の意思表示の合致と無関係のものと主張することは、法の許容しないところと解される。そして、申請人らと被申請人間の客観的に存した使用従属関係の有無とその内容は単に事実上のものにとどまるというのでは正確な説明がつき難く、労働契約という概念でのみ架橋が可能となることに思いを致すと、表示上から客観的に推認される被申請人会社の意思は、昭和五〇年六月一日時点で申請人らとの間に労働契約の存在することを容認していたもの即ち、後記する申請人らの労働契約締結の申込みを黙示的に承諾済みであったというに帰するのである。

(二) 申請人らの意思表示はどうか。

製帳社が東筑印刷(株)から本件委託業務を引き継ぐにあたり、改めて東筑印刷(株)従業員から履歴書を徴し、新たに従業員を採用する際も製帳社名で新聞広告を出し、採用面接も製帳社が行ない、また申請人ら従業員を被保険者とする社会保険、失業保険等についても製帳社が事業主として加入手続をとっていたこと、製帳社労組の各種要求及び団体交渉に対しては製帳社の山崎巖がその相手方となり、製帳社が回答していたこと、そして製帳社が、申請人らに対して、解雇通知を出し、解雇予告手当及び退職金を支払い、離職証明書を交付していることは前記認定のとおりである。これらからすれば、申請人らは製帳社との間に法形式上は労働契約を締結する意思を終始持ち続けていたとも一応言うことができる。しかし、この労働契約が、製帳社と被申請人会社との業務委託契約を抜きにしては、全く無意味なものであったことは、製帳社が本件業務から手を引くこと、即ち申請人らの解雇という昭和五〇年六月五日付解雇通知が如実に物語っている。その上、右業務委託契約そのものが、職安法四四条に違反し、公序良俗に反するものであったし、昭和四九年四月の製帳社労組結成以後は、申請人らも右のことを明確に問題意識として持ち、被申請人会社には長期的に社員化要求をしながら、製帳社に対しては、それをテコにして、短期的に自らの具体的な労働条件の改善に取り組んできたのである。そうだとすれば、申請人らには被申請人会社に申請人らと労働契約を締結する意思表示があれば、いつでもこれを受け入れる意思を内外に示し続けて昭和五〇年六月一日を迎えていたということができるのであり、これを換言すれば、表示上から客観的に推認される申請人らの意思は、昭和五〇年六月一日時点まで被申請人会社に対し労働契約の締結を申込み続けていたものと解されるのである。

このことは、申請人らが製帳社から解雇予告手当及び退職金を受けとり、又、失業保険金を受理する手続をとったからということだけで消長を来たすものではない。なぜなら、これらのことは、申請人らが解雇通告をされた後の日々の生活を担保する現実的な手段に他ならず、緊急避難ともいうべき所為であるうえ、申請人らも解雇予告手当及び退職金の受領につき異議を留めていること、前記認定のとおりだからである。

(三) 黙示の意思表示の合致

以上の検討からすれば、昭和五〇年六月一日の時点で、申請人らと被申請人会社間では、申請人らを被申請人会社の従業員として労働させる旨の黙示の意思表示の合致が既に存在していた、即ち、黙示の労働契約が既に成立していたと評価することができる。

(四) その労働契約の内容はどういうものか

右のようにいうことは、申請人らと製帳社間の労働契約の存在を全面的に否定するものではない。即ち、昭和五〇年六月五日、申請人らが製帳社から解雇通知をうけた時点で(勿論、この解雇の効力は別個の問題である。)、申請人らと製帳社及び被申請人会社双方との間で労働契約が存在していた。これを二重の労働契約の併存といっても良いが、実態は、労働者たる申請人らにとって、製帳社と被申請人会社の両者が使用者側として存在し、両者相まってはじめて、通常の労働契約における使用者たる地位にあった。(もっとも、製帳社と申請人らとの労働契約についていえば、前記のとおり、職安法四四条違反の前記業務委託契約に奉仕するためのものであることから、その限度で効力を否定すべき部分もある。)そこで、仮に六月五日の解雇通告によって、製帳社が右の労働契約関係から離脱する意思表示をしても、被申請人会社の使用者としての責任は残存するのみならず、申請人らが製帳社との契約関係の終了を追認し、被申請人会社との労働契約の存在のみを要求してきた場合は(本件の場合はこれに当ることは、弁論の全趣旨より明らかである。)、使用者としての責任を全て顕在化させなければならないことになる。従って、従来製帳社が使用者として果してきた限りでの労働条件は、申請人らと被申請人会社間で協議して内容を定めるべく運命づけられ、その他の労働条件、即ち製帳社よりも被申請人会社が決定づけていた労働条件は従前どおり継続すべき筋合である。このことは別にしても、一片の通告(本件の場合の六月二〇日無関係社告)によって、勤労する申請人らの権利が被申請人会社から奪われてはならない、との労働契約上の最低の保障(このことは、解雇が自由かどうかの問題とは直接関係がない。)は、貫徹されなければならないと解される。というのは、使用者側である被申請人会社及び製帳社の両者によって作出された疑わしくは不明朗な契約関係において、その相手方当事者たる申請人らに使用者としてどっちを選択するかの権利が付与されるのは当然であり、労働者たる申請人らの最後の保障は一片の通告によって労働契約が当然に終了させられてはならないとの身分保障に要約できるからである。

(五) 被申請人会社の無関係社告はどう意味づけうるか

被申請人会社と申請人ら間に個別労働契約の存在が認められるとすれば、被申請人会社が昭和五〇年六月二〇日内外に示した無関係社告は、実質的に被申請人会社の申請人らに対する解雇の意思表示と解する余地がないではない。

しかしながら、労働契約の存在による労働者の身分保障は、労働契約の内容により、濃淡があって然るべきであり、本件において認定した申請人らと被申請人会社間の黙示の意思表示の合致による労働契約上の労働者側、即ち申請人らの身分保障の程度も、本件紛争発生に至る経過を離れては正確に吟味しえない。

そして、一片の通告によって勤労する申請人らの権利が奪われてはならないとの最小限度の身分保障は、本件労働契約においても維持されねばならないことは前記したとおりであるところ、被申請人会社は、本件で申請人らとの個別労働契約の成立を極力争っており、その存在を前提とする解雇の抗弁事実を主張しているものでもないうえ、右無関係社告を解雇の意思表示とみるとしても、当然のことながら、如何なる理由による解雇かを明らかにしていないものであって、前記本件紛争の経緯に照らし、解雇権の濫用として、無効といわざるを得ず、当然に契約を終了させるものとは解し難い。この意味で、昭和五〇年六月二〇日の無関係社告は、法的に有意味なものとはなりえない。

6 被保全権利の存在

これまで述べてきたところをまとめると、昭和五〇年六月(一日)時点で申請人と被申請人間には労働契約が存在しており、申請人らは被申請人会社の従業員たる地位にあったということになる。

五  保全の必要性

申請人らは労働者であって、被申請人会社から従業員としての取扱いを受けることができないとすれば、回復し難い損害を被ることが明らかであり、保全の必要性がある。

六  結論

よって、本件仮処分申請は理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中貞和 裁判官 簑田孝行 原敏雄)

〈以下省略〉

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